愛娘リョーニャの聖体拝領のお祝い、『コミュニオン・ソラネル』をアップしております。
美しい白いドレスとヴェールで聖体拝領を受ける、カトリックの晴れやかな儀式。
フランス以外でもスペインやポーランドと言ったカトリック文化圏の国では同様の儀式はあるようです。カトリック教徒のマリバラ姉様やベッティも晴れやかなその儀式の思い出を大切にしているようで。。。。
一方ユリちゃんには…残念ながら、コミュニオン・ソラネルの思い出はありません。
きっと性別を偽っていなかったとしても、非嫡出子の彼女は教会のコミュニティに入れてもらえなかったでしょう。
どうやらユリちゃんは自分の生い立ちを一切娘に話していないようです。
それもそうかもしれません。
…やはり、どう話していいか、どう伝えたらよいのか、分からないからでしょう。
それにきっと話してしまうと、お母さんのことに触れずにはいられません。
原作ではお母さんに対してとても複雑な思いを持っていたように思えます。
だけど、お母さんを愛していたことは紛れもない事実です。
ユリちゃんの中でも未だに昇華出来ないでいる部分もあるのではないかと思います。
恐らくまだまだ未消化であろう部分が多い自身の生い立ちの事をユリちゃんが自身の口で娘に伝えるよりも、ワンクッション置いたアレクセイの口からリョーニャに伝えられたのはよかったなと思います。
GJアレクセイ。あんたいい夫だよ。
リョーニャもこのタイミングで父親から母親の過去を知らされた と言う事は、少なからず自分が大人として、親から一方的に庇護されるだけの子供ではなく、対等な家族として認められた という気持ちになったのではないかと思います。
もう一人前の大人だから彼女が母親の過去を理解し受けとめることが出来るだろうと父親が判断した と。
きっとこれからはお父さんと共に、ますますお母さんを大事にしようと思ったのではないかと思います。
1 の方で、最後にユリちゃんがお母さんとの思い出を回顧しています。
ここを書いたときに、とても切なくなりました。
いくら甘やかなお母さんとの思い出でも、もうこの世にいない人なんです。
この時に「いつかユリちゃんとお母さんが生きて一緒にいる、生きてありのままのユリちゃんを慈しむ物語が書きたい」と思い始めました。
それがのちのヤンママのパッサウ再会篇、そしてBmGのユリちゃんとレナーテさんに繋がっているのかもしれません。
きっとそれは、ユリちゃんの、そしてレナーテさんの切なる願いだったと思うから。。。
一方2の方はリョーニャの、というかゾンマーシュミット一家を巡る人たちの、リョーニャの成長を祝い喜ぶエピソードとなっております。
まずはレーゲンスブルグの人たち。
ユリちゃんの姉夫婦でありリョーニャにとっては伯父伯母であるダーマリ夫妻。
やっぱりマリバラ姉様は、異母妹に何もしてあげられなかった、女の子であった彼女の少女の日々の辛さや悲しみに気付いてあげられなかった…という大なり小なりの悔やむ気持ちがあったと思います。情に厚い優しい人だから。勿論気づけなかった(というか常識的にありえないことだし)ことはマリバラ姉様のせいではない。だけど気付いてあげられなかったことで、血を分けた妹を一人密かに涙を流させてしまったということは、ユリちゃんが幸せな日々を送っている現在でも、苦い後悔として心にわだかまっていたのかもしれません。
だからこそ、妹の娘のために妹にしてあげられなかった分も…と、どこか今のリョーニャに、遠い昔に気付いてあげられなかった妹の本来あるべきだった姿を重ねていたのかもしれません。
ダー様は・・・・洒落ものですな。女性にアクセサリーを贈るのって実は男性にとって難度が高いことだと思います。特に恋人や伴侶以外の女性となると尚更。。。。
(ほら、恋人とかならば、「貴方がプレゼントしてくれたかけがえのない」というフィルターがかかりますが…ね。事実武骨なゲオルクスターラーをレナーテさんはずっと大事に胸にかけていたし)
コミュニオン・ソラネルや洗礼式で近しい男性の親類の方が女の子にアクセサリーを贈るのはよくある贈り物のようです。こういうものは特別にセンスのいいダンディな方に担当してもらいたいものですね。
ダー様も親友と、彼が愛してやまない女性の間の宝物のようなお嬢さんにアクセサリーを贈るというのはとても喜ばしく感慨深かったと思います。
こういうプレゼントは…贈る方も嬉しいものですね。
ダー様もきっと、リョーニャに少女の頃のユリちゃんを重ねていたと思います。
ベッティは、ほんと…いい人だわ。
彼女のような懐の広い人になりたい。
真っすぐで一途でブレなくて。。。(あ、全部同じ事か)
その深く広い心で、友人夫妻の娘ちゃんを慈しんでくれているのでしょう。
そして、イザーク。。
その後めでたく一度は止まってしまった彼の音楽家としての時間は動き出しているようです。
ただいま母校ゼバスに戻りピアノ科で教鞭をとっているようで。。。
彼の贈った小曲が親子の絆を深めるのに一役買っているようです。
イザークの人生にも、幸あれ。。
そしてレーゲンスブルグ以外の人たち。
まずはフジタさん。
ヴェーラの贈ってくれたいちまさんの着物が縁で仲良くなったフジタさんこと藤田嗣治。
リョーニャのコミュニオン・ソラネルの頃は、残念ながらちょうど日本帰国の時期に当たっておりました。
でも相変わらずリョーニャとの書簡のやり取りは続いているようで。。。
フジタさんからはこれまたプライスレスなプレゼントが届いたようです。
フジタはとても手先が器用な人だったので、自作の絵を自作の額縁に収めているのも多く見られます。
缶詰のブリキを打ち出して作ったものとか木箱をリメークしたものとか。。
どれも可愛らしくて味があって絵と同じぐらい見どころがあります。
そう言えばユリちゃんとリョーニャとは親交のあったフジタさんですが、その後アレクセイとも引き合わされることはあったのでしょうかね??
ちなみに、フジタさんの没地はスイスのチューリッヒでして、ちょうどその頃にはゾンマーシュミット家、チューリッヒに居を移しているのですよね。
もしかして晩年のフジタさんを見舞ったりしていたのかもしれません。
そして、”マドモアゼル”ココ・シャネル。
リョーニャを迎えに行った折に、バーンと休暇を工面してくれたシャネル女史。
(仕事の鬼なのに)
感謝の気持ちを忘れていなかったのでしょう。娘と共に挨拶に出向いております。
律義者だな、、、ユリちゃん。
実はコミュニオン・ソラネルというものを知ったのは、藤本ひとみさんの著作『シャネル』の作中からでした。
ここでシャネルが語った、修道院の孤児院に預けられたシャネルの元に届いた父親からのドレスとヴェールのエピソードはその作品に描かれていたものでした。
グリポアというのはシャネルが発表した色ガラスのアクセサリーです。
ガラスという性質上、扱いに注意が必要ですね。
(私もお気に入りのすりガラスのブローチを一度ぶつけて割ってしまった。。。その後接着剤でくっつけて使っていますが)
そして最後にリョーニャが7年の時を過ごした修道院の院長とシスターアンナ。
修道院の孤児院でそこの寄宿生との格差を嫌というほど味わったシャネルと違い、レオ様の手配もあり、リョーニャは身寄りはないものの、寄宿生の扱いでありました。
だけどやはり満たされない心というのはどうしようもなく。。。
胎内記憶を持っていたリョーニャ。
慈しまれていた という記憶感覚があるだけに、今の自分は何故一人でここにいるのだろう…という想いもひとしおだったに違いありません。
さみしさに崩れそうになった初聖体拝領のお祝い。それから数年の後、迎えに来てくれた両親と幸せな人生を送りながら迎えたコミュニオン・ソラネル。きっとリョーニャもあの幼い日を思い出して感慨深いものがあったのことでしょう。