ユリちゃん、サクランボ農園二度目の訪問。
今度はこれからここで療養生活を送るフリちゃんの同伴としてです。
イザークも一緒に。。
フリちゃんと一緒にいる時のユリちゃんはいっぱしにお姉さんみたいです。
初めての汽車にはしゃぐフリちゃん。
初めての荷馬車の荷台にはしゃぐフリちゃん。
この子原作のユリちゃんの友人知人では最も年若だったのに、まるでもう大人のようでした。
貧困と生活の厳しさが彼女を齢よりもはやく大人にしてしまった。。。
それは少し(いやとても)切なかった。
なので、生活の苦労から切り離されて年相応の少女に戻ったフリちゃんを書いていて、ああなんだか幸せだなあ…と。
そして(原作でも本当に最期の最期に口にした)あの一言。
「私を愛している?」
それに対するイザークの「当たり前じゃないか」はフリちゃんの望んだYesとはもしかしたら違うものだったかもしれない。。。
それでも満足だったのではないかと思う。
きっと「また一緒に暮らそう」というその言葉は、これから新しい土地で新しい環境で療養生活を送るフリちゃんの心の支えになるのではないかと思う。。。
> 貧困と生活の厳しさが彼女を齢よりもはやく大人にしてしまった
フリデリーケちゃんは本当に切なかったです。原作は何故かユリちゃんと可愛い健気な女の子ばかりに艱難辛苦を与えたように思いました。我に艱難辛苦を与え給え! なんて誰も望んじゃいないので少女漫画は少年漫画に比べて環境が壮絶でしたよね…。
実際のところモーリッツがあれほど見事にメタモルフォーゼできたのは、フリデリーケちゃんを真実愛し、その後の傷心の彼をベッティーナが真摯に支えたからだと思うのです。モーリッツを大人にしたのは彼女たちの影響からでしょう。モーリッツ母は過保護だから甘やかすばかりでしたからね。恋も愛も偉大ですね。
>「私を愛している?」
フリデリーケちゃんがイザークに心情を打ち明けるあの言葉がとても切ない。。。愛と恋は違うけれども、フリデリーケちゃんの幸せを願わずにはいられない。。。そして、フリデリーケちゃんの愛する人が誰なのかは秘して語ること必要もない…。そういう恋もあります、そして愛を告げられたイザークは
分からないことにしてフリデリーケちゃんの快復を待つ。こういう愛の終わりがあってもいい。