1918年7月 ニコライ二世一家処刑。
そしてそれから程なくして起こったレーニン暗殺未遂事件。
身体に刻み付けられた傷と苦痛が生み出す憎悪。。。
1917年の4月テーゼからずっとギリギリの綱渡り状態で革命を何とか推し進めて来ていたレーニン。
周りの敵に対してギリギリの状態で心中に渦巻く憎悪を必死で抑えていたのかもしれません。
1918年に入っての理不尽な要求をのまざるを得なかったブレスト=リトフスク条約から支持率を失いながらも何とか持ち堪えていたのを、この八月の三発の銃声が撃ち抜いたものは、彼がギリギリの状態で心に留めていた憎悪のタガだったのかもしれません。
明かにこの1918年以降からレーニンの、ボリシェヴィキの内なる残虐性が加速化顕在化し始めてきているように思えます。
さてBmG,遡り、第三十三話でヴィルクリヒ先生(エルンスト・フォン・ベーリンガー)とサシで語り合っていたアーレンスマイヤ氏。
彼はあの忌まわしい一家殺害事件で敢えてエルンスト少年を生かしたのを「良心の枷」だった と言っております。
一度タガが外れたタブーというのは…もう抑えておくのが容易ではないことを、このレーニン暗殺未遂事件が明確に語っているように思います。
自分と意見を異にするものを次々と迫害処刑していくレーニン。
(そのやり方は残念ながら彼の後継者にも引き継がれていきます)
おぞましい禁忌を犯しながらもギリギリのところで踏みとどまった(少なくともそうあろうと努力した)アーレンスマイヤ氏。
(まあ、彼の場合は直接手を下したという点で余計にその禁忌の重さというものを真摯に受け止めたのかもしれません)
レーニンを襲撃した三発の銃声。
これが崇高な理念によって打ち立てられた世界に例を見ないの初の社会主義国家という輝かしい栄誉を、恐ろしくおぞましい独裁主義国家に変貌させるきっかけとなったのかもしれない…と考えると、この代償はあまりにも大きかったと…言わざるを得ません。
あ、書き漏れです。
クラウス・ゾンマーシュミットとしてならば、アレクセイは、ドイツで安全に生きていけるのではないかと、憶測しました。
どうかアレクセイが無事でありますように・・・ amen
こんばんは
アレクセイがこれほど早くソビィエトの中枢から放逐されるなんて!
部下の話を聞かない独裁者は自分より優れた人間に嫉妬し疑心暗鬼を生ず、とは、聞きますが、偉大な指導者レーニンも同じだったのですね。。。
アレクセイが粛清されるのはレーニンの死後だと誤認していました。
アレクセイの生死は不明だと信じたいです!!
心ある同誌の手によって救い出され、国外亡命してほしい。リュドミールも当然一緒です。
実は昔から気になっていましたが、アレクセイのドイツでの身分は作為的に作られたものでしょうが、
クラウス・ゾンマーシュミットの戸籍は確実に存在するのではないでしょうか。
聖ゼバスチャン入学には審査があったはずです。一番大事な戸籍証明が不備では、あの音楽学校に入学できたとは思えません。昔ローマ教皇の兄上が聖歌隊を率いていたほどに有名な学校です。
閑話休題
先日オペラを聴きに行きましてね… ドヴォルザークの有名な「ルサルカ」の『月に寄せる歌』のアリアは本当にユリちゃんのアレクセイに対する愛の想い、そのものだと感情移入して感激しました。
チェコ語で歌っていましたが、第1幕なので歌詞はわかりました。歌手の方もこの歌に全身全霊を傾けて歌っていて、ユリちゃんがピアノ編曲し(ヴァイオリン編曲もあります)歌えば、感涙しそうな曲です。
月よ・・・ しばらくそこにいて!
教えて! 愛しい人はどこ?
照らして あの人に
伝えて! ここで待っていると!
アレクセイとユリちゃんの再会を待ち望む私がここにいます。。。