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​家族の小景

Scene1

 

「ん?…こんなシャツあったか?また…あれの仕業か?」

 

フッ…。

 

レオニードが、クロゼットの中で綺麗に畳まれた見覚えのないピンクのチェックシャツを取り出して首をひねる。

結婚後、今まで袖を通した事のないような、明るい色のシャツなどを時折ユリウスが買ってこっそりとレオニードのクロゼットの中に忍ばせておくことがあったから、これも大方そうしたものの中の一枚なのだろう。悪戯がバレた子供のような顔で茶目っ気たっぷりに笑う妻の顔が目に浮かぶ。その愛らしい面影に思わず笑いが漏れる。

 

レオニードはそんな妻の顔を思い浮かべながら、手にしたピンクのシャツに袖を通した。

 

 

「ではアンドレイ、行こうか」

 

「うん!」

 

二人手を繋いで車庫へ向かう。

 

ー ムッターに会うの楽しみだなあ。待ってるかな?

 

ー ああ。母様もアンドレイに会うのを楽しみにしているぞ。

 

ー ファーターはもう僕の妹に会った?

 

ー ああ。とても可愛いぞ。

 

ー ふうん。ねえ、ムッターに似てる?髪の色は?目の色は?

 

ー それは会ってのお楽しみだ。

 

ー ねえ、ファーター。今日ファーターの隣に乗ってもいい?

 

アンドリューシャの可愛いおねだりにレオニードが表情を和らげる。

 

ー チャイルドシートを付け変えるからちょっと待っていろ。

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Scene2

 

「僕おトイレ行きたくなっちゃった」

 

「おトイレそこのドアだよ。行っておいで」

 

「うん」

 

―パタン

 

トイレのドアが閉まる。

 

「ねえ。そのシャツよく似合ってるね」

 

「これか?…またお前がクロゼットに入れておいたのだろう?」

 

「うふふ…。絶対あなたに似合うと思ったんだ。やっぱり素敵」

 

レオニードはユリウスのベッドの縁に腰かけて、妻の身体を抱き寄せ唇を啄む。

 

二人の啄み合うようなキスがだんだんと深いものになっていく。

 

そこへトイレから出て来たアンドリューシャが、愛を交わし合う両親の姿を目の当たりにする。

 

レオニードが抱き寄せた手はそのままに顔だけ妻から離して、愛息の方へ向けた。

 

「ん?アンドレイ。済んだのか?」

 

「うん…」

 

「アンドリューシャ、手、拭きなさい」

 

ユリウスがサイドテーブルの引き出しからハンカチを取り出して息子に手渡す。

 

「ありがと」

 

「どういたしまして」

 

息子からハンカチを受け取ったユリウスが飛びきり優しい笑顔で答える。

 

「さあ、我々もそろそろ帰るか」

 

レオニードのその言葉に、アンドリューシャが名残惜しそうな目で母親を見つめる。

 

「アンドリューシャ…おいで」

 

ユリウスがもう一度アンドリューシャを抱きしめる。

 

「ムッターも週末にはおうちへ帰るからね。あ、そうだ!これで帰りにファーターとカフェテリアで美味しいものお食べなさい。アンドリューシャの大好きなチョコレートサンデーもあるよ」

 

ユリウスがサイドテーブルの引き出しから財布を取り出すと紙幣を一枚抜き出してアンドリューシャに手渡し、もう一度柔らかな頬にキスをした。

 

「ムッターにもキスを頂戴。アンドリューシャ」

 

母親にキスを請われ、アンドリューシャは母親の白く滑らかな頬にキスをする。

 

「じゃあね。ムッター。僕おうちで待ってるよ」

 

「うん。待ってて。アーニャと一緒に帰るからね」

 

ユリウスが病室を去る夫と息子を見送った。

 

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Scene3

 

 

 

「じゃあね。ムッター、アーニャ」

 

「またね。アンドリューシャ」

 

ベッドの傍らで娘を抱いたユリウスが手を振って、病室を後にするアンドリューシャとレオニードを見送る。

 

 

「ムッターから貰った。《これで美味しいもの食べなさい》って」

 

アンドリューシャがポケットから取り出した四つ折りの紙幣を伸ばして両手で摘まみ父親に掲げる。

 

「そうか…。じゃあここのカフェテリアに行くか?それともエリセーエフスキーのティールームでいつものを食べるか?」

 

見上げる息子の愛らしさに、レオニードがますます優しい父親の顔になる。

 

「うーん。ここのカフェ行きたい」

 

「そうか。じゃあそうしよう」

 

レオニードとアンドリューシャは手を繋ぎカフェテリアへと向かう。

 

 

「お待たせしました。チョコレートサンデーとコーヒーです」

 

ウェイトレスがアンドリューシャの前にうず高く積み上がったチョコレートサンデーを、レオニードの前にホットコーヒーを置いて行く。

 

「頂きます。…美味しい!」

チョコレートソースのかかったアイスクリームとホイップクリームの山にスプーンを入れて相好を崩すアンドリューシャの顔に、ジャンボパフェに瞳を輝かせていた婚約時代の妻の笑顔が重なる。

 

―似てないようでも、似ているものだな…。

 

そんな息子の笑顔に、レオニードも思わず表情が綻ぶ。

 

「どうしたの?ファーター」

 

「ん?…お前は、お前の容貌は叔父さん…リュドミールにそっくりだと思っていたが、そうして大好物に目を輝かせてる表情なんかは、あれ…母様にそっくりだなと思ってな」

 

「ふぅん」

 

「やっぱり親子なんだな」

 

「アーニャは…あんまりムッターに似てなかったね」

 

「まあ、そうだな。うちの子供は…どちらかというと外見はユスーポフ家寄りだな。ディアナは…恐らくディアナはヴェーラ似だ」

 

「ヴェーラ叔母様?」

 

「ああ。そうだ」

 

「そうなんだ~」

 

アンドリューシャは黙々とチョコレートサンデーの山を切り崩し、平らげていく。

 

「ファーターはコーヒーだけでいいの?」

 

「ああ」

 

「お腹空かない?僕のサンデー、少し食べる?」

 

「大丈夫だ。ありがとう。アンドレイ」

 

息子の優しい気遣いにレオニードが笑顔で答える。

 

「ここのカフェテリアは、食事も結構美味くてな。父様はこないだここでハンバーガーを食べたのだがな、チーズとパテのボリュームもあって付け合わせも美味くて、なかなかいけたぞ」

 

「へえ。ファーターがハンバーガー?珍しいね」

普段からジャンクフードの類を忌み嫌う父親の口から出た意外な発言にちょっと驚いたような顔でアンドリューシャはサンデーを食べるスプーンの手を止め、父親を見た。

 

「まぁな。あの時は母様がお産の真っ最中でゆっくりと食事を摂る時間も余裕もなかったからな。なるべく手軽に摂れるものを選んだのだ。それにマク〇ナルドやなんかのものと違って、きちんと作られたものだったからな。あれならばそんなに身体に悪いこともあるまい」

 

「へ~。僕もそれ、食べてみたいなぁ」

 

「いずれな」

 

「うん!楽しみ」

 

本当はあの時「それ」を食べていたのは、呉越同舟よろしくあの場では暫しの「休戦協定」を結んでいた妻のかつての恋人だったのだけど…。

なぜ目の前の息子にそんな他愛のない作り話をしてしまったのかはレオニード自身にも分からなかったが、もしかしたらあの時この場所であのハンバーガーを旺盛な食欲で平らげていたあの男の「野性」に、自分にはない逞しさとそれに対する少しの敬意のようなものを感じていたのかもしれないな…と思い至り、レオニードはそんな自分に対して、息子にも分からないぐらいの微かな笑みを浮かべた。

 

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Scene4

 

「おじいちゃま。お帰りなさい!」

 

モスクワから孫の顔を見るために戻って来たユスーポフ氏をエントランスでアンドレイが迎える。

 

「おぉ!アンドリューシャ!!すっかり大きくなって。どれ…」

 

ユスーポフ氏が荷物を執事に預け、走り寄って来た孫を抱え上げる。

 

「おお!すっかり重たくなって…。それにこの利口そうな顔立ち。なぁ、ロドチェンコ」

ユスーポフ氏が傍らの執事に同意を求める。

 

「はい。幼い頃のレオニード様を想わせるとても聡いお坊ちゃまでございます」

 

「そうだろう。そうだろう。さあ、アンドリューシャ、じいじを妹姫の所へ案内しておくれ」

 

ユスーポフ氏は抱き上げていたアンドリューシャを下すと、孫息子に手を引かれ先程から長男夫婦と生まれたばかりの孫娘が待機しているリビングへと向かった。

 

~~~~~

 

「お義父様!」

 

リビングに入って来た義父にユリウスの碧の瞳が輝く。

 

「ただいま戻ったよ。貴女は一段と美しくなったね。まさに女盛りの艶やかさだ。― レオニードが羨ましいよ」

 

「ふふ…お義父さまったら」

 

二人は肩を抱き合って、頬を寄せ合う。

 

確かに無事二人目の出産を成し遂げたユリウスは、今まさに女盛りの、心も体も充実の時を迎え、匂い立つような艶やかな美しさを纏っている。

 

産後の肥立ちも良いようで、顔色もよく、長い金髪を緩く編み、胸元が少し大きめに開いた明るい赤基調のペイズリー柄のワンピースが白い肌と明るい金髪によく映えている。

 

「父上。遠路遥々お疲れ様でございます」

 

傍らのレオニードも父親と軽く抱擁を交わす。

 

「お前も二人の子の父親になって、ますます男ぶりがあがったな。実にいい顔をしている」

そう言ってユスーポフ氏は息子の背中を優しく叩いた。

 

「どれ。孫の顔を見せておくれ」

 

「はい」

 

ユリウスが少し前に目を覚ました娘を抱き上げる。

 

「アーニャ。おじいちゃまですよ」

 

優しく話しかけながら、ユスーポフ氏の方へ娘を差し出した。

 

「おお。可愛いのぅ。ディアナ、ディアーンカ。じいじですよ~」

 

分かったのか分かってないのか、祖父の声にディアナがパチクリとその長いまつ毛を瞬かせた。

 

「長いまつ毛だのぅ。それに、貴女に生き写しの宝石のようなこのブルーアイ!この子は将来絶世の美女になるぞ」

 

「うふふ。レオニードもそう言ってくれました。それに見て下さい。白い肌にこの艶やかな綺麗な黒髪」

 

「そうだな。そうだな」

もうユスーポフ氏は孫嬢に相好を崩しまくり、デレデレの態である。

 

「ね。お義父様。抱いてあげてください」

 

ユリウスから孫をそろそろと受け取る。

 

「黒髪にブルーアイのエキゾチックな美少女じゃのう」

 

腕の中の孫娘をあやしながら、ユスーポフ氏が感嘆の言葉をもらす。

 

「この子、ヴェーラに似てますか?」

 

「ああ。そう言われれば瞳の色をのぞいてはヴェーラの赤ん坊の頃にそっくりじゃな。それに…アンドリューシャの時もそうだったが、この子も母親以外の人間に抱かれてもぐずったりしない実に胆の据わった子供だな」

腕の中でじっと自分の顔を見つめているディアナに、ますますユスーポフ氏がご機嫌になる。

 

「ええ。よく乳を飲んでよく眠る…本当に親孝行な苦労いらずの子です」

 

ユスーポフ氏から娘を返されたユリウスが軽くディアナをあやすと、再び天蓋付きの豪奢な揺りかごに娘をそっと寝かせた。

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