お兄ちゃんと一緒に招待されたフリデリーケのお茶会のお呼ばれにスポットを当ててみました。
原作ではユリちゃん、モーリッツ、そしてカタリーナ嬢からドレスをプレゼントされていたフリちゃん。
ただしこちらのBmG、ユリちゃんが「女の子」という設定なので、これをやると微妙に意味合いが違ってくるように思う。
男のユリちゃんやモーリッツが異性のフリデリーケにドレスを贈るのは、「これで装って綺麗なあなたを見せて」という”魅力的できゃわゆいフリちゃん”という対価があるわけで、、、これはある意味「対等」だと思うのですよ。。
だけど、女の子の立場でこれをやってしまうと…何だか「施し」みたいでフリちゃんの矜持を傷つけるように思えて…。
だからあえて「ドレスを贈る」というのは却下しました。
だって何だか「そんなカッコで来ないで」みたいな感じがして嫌だったし。
ユリちゃんも、いつものままのフリデリーケが顔を見せてくれたら嬉しい…と思っていた筈だと思うから。。
(事実イザークを招待した時もそんなようなこと言ってたし)
でもフリちゃんにとっても忘れられない「何か」があったらいいなぁ…と思い、レナーテさんとゲルちゃんに骨を折ってもらいました。
この二人は格差社会の「底辺」側を味わっている人たちだから、よけいフリちゃんの気持ちもよく分かるんじゃないかな~、彼女の心に寄り添ってあげられるんじゃないかな~と思うのです。
きっとレナーテさんは自分の若い頃をフリちゃんに重ねている部分すらあると思う。
実娘のユリちゃんも大切だけど、彼女とはまた別の意味で自分の娘のようにおもっていたのかもしれない。
原作では一人で悩んで苦しんで決断していたフリちゃん。
こちらではこういうお母さんやお姉さんのような理解者がいるという事を忘れないで、辛いときはSOSを出してほしいな~と思ってます。
一人でため込んじゃダメだよ。フリちゃん。
儚げな容姿に一途な愛。
まだ幼いといってもよい齢なのに、彼女の中身は不憫になってしまうぐらいに成熟してました。
厳しい環境が彼女に早すぎる成長を強いてしまったのでしょうね。
やたらお兄さん風を吹かせるイザークに、時にイラっとしたほどでした。
フリデリーケの生きざまと死によってモーリッツは人として成長した。
でもあまりにもその代償は大きかった。。。
イザークも人の世の儚さというものを悟った(ように思える)。
彼女の人生はとても短かった。
でも彼女が残したものは、とても大きかったと思う。
でも…でも…、やっぱり生きていて欲しかった。
彼女にとっては生きることも苦行のようだったかもしれないけれど、それでも生きていればいつか何か救われたかもしれないから。。。
フリデリーケちゃんは本当の意味で自我の誇りを持っている女の子でした。
それこそ生家の財力、教育とかは無い(教養と教育は意味合いが違う、本人の資質に係る)女の子。
でも、イザークお兄さんの為に市場の売り子さんをする本当に地に足がついた生活感のある子で
外見の儚さとは全く違う素晴らしい清々しいながらも凛とした矜持の持ち主で、当時中学生の私に
はとても眩しい存在でした。14歳で兄を養う、それも低賃金の正業で支える女の子なんている?
いや家族に仕送りするために進学を諦め就職するのは今でもありますが。
そんな従来のお金持ちの令嬢としか接したことのないモーリッツが恋に落ちるのも見た目の可愛ら
しさからだけでは決してないでしょう。フリデリーケちゃんの心の美しさが彼には分ったのだろう。
フリデリーケちゃんの短く幸薄い人生。。。原作での描き方が可哀想すぎて。。。
転地療養なぞ夢のまた夢。。肺を病んで喀血するまでイザークの為に尽くす尽くし続ける人生は
とても悲しいエピソードでした。
sakko様がそんなフリデリーケちゃんの思いを汲み取り、ドレスをプレゼントするのではなく、
髪を整えたり、チョットした、彼女の心を傷つけない範囲で女の子の装いをさせてあげて本当に
嬉しい。これでフリデリーケちゃんの心のうちを明かせる大人の女性がいることだけでも、彼女
のこれからの人生の励みになる。人が絶望の淵にある時、それでも明日があると思うのはそれは
第三者からの何気ない一言だったり、自然の美しさだったりするのですから。そして音楽