長い長い音楽祭初日の一日。
第百話Ⅵ、【第六章 語らい】をアップしております。
漸く出会えた…と言いますか、ヴァシリーサ様おばあさまとアルフレートパパが対面致しました。
亡き息子であり亡き友について語る二人。
お迎えが来る前に(お互い)会う事が出来てよかったね。。。
この章では二人の人物が主となって語らっております。
一人目は、プリンセスアナスタシアことアンナ・ユスポヴァ嬢。
御覧の通り…と言いますか、現在の彼女は、アンナ・ユスポヴァとして充実した人生を送っているようです。良い人も現れたようで、その彼と将来は工房を持つ約束もしているようです。
そんな彼女の順風満帆な第二の人生に淡い陰りを射したであろう、「ロマノフ家の僭称者」たち。
史実では何名もの僭称者が現れましたが、中でも最も有名なのが、原作でもラストに登場したアンナ・アンダーソンです。
その真偽にヨーロッパの王室までをも巻き込み、映画やドラマにもなった「王妃アナスタシア」。
現在は残されたDNAから「彼女はアナスタシアではない」と言う事が判明されておりますが。。。。
一体本物さんであるところのアンナ嬢は彼ら彼女ら「ロマノフ家を騙る者」たちに何を想ったのでしょうかね。。
自身の人生が充実しているだけに、あからさまな憎悪のようなものはさほどなかったように思います。
ただ…気分のいいものでは決してない気がします。
そしてその気持ちの悪さは、アンナ・アンダーソンがこの世を去る1984年まで続くのでしょうね。。。
(それまでアンナ嬢が生存しているかはまだ定かではありませんが)
二人目はおばあさまです。
ここで語られたおばあさまの心の内。。
これは普遍的なものであると私は思うのです。
「この子は自分が親で果たして良かったと思ってくれているのだろうか?」
またはその逆も然り。。。
「果たして自分は親の愛に報いることが出来ているのだろうか?親は自分が子供でよかったと思ってくれているだろうか?」
自分も勿論思います。
恵まれた家と財力と本人の資質を生まれながらに持っていたであろうミハイル氏。
それでもヴァシリーサお母さんは心の片隅にずっと思い続けるのです。
「この子は果たして自分の息子に生まれて幸せだったのだろうか?」と。
そして早逝という重い事実までをも、自分の枷としてどこか背負い込んでいたように思います。
でもそれは「断じて違う」と言い切ったアルフレート氏。
彼は生まれもそして自分をこの世に生み出してくれた親も、誇りに思っていた と。
おばあちゃんもきっと目の前の立派な人物からそう言って貰えて「この人がそう言うのならば」と少し安心して今まで背負って来た息子の死という重荷を下せたのではないかと思うのです。。。
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こんばんは~
長らくの御無沙汰お許しください。
諸事情により(主に疲れて)コメントできませんでした。
然し乍ら楽しく拝読させて頂いておりました。
遂に百話目にして副題あり!
sakko様の筆の滑りの良さ、水茎の跡もさぞや麗しいかと。
今回遥々『さくらんぼコンサート』と婚礼披露宴にいらしたヴァシリーサお祖母様とアンナ嬢のお二人。驚きました。アンナ嬢は予想外で嬉しいサプライズ!
この亡国の姫君が永世中立国スイスで、生き生きとその後の人生設計を語る姿に心から喜びを覚えます。技術者の道を選ぶアンナ嬢はロマノフ王朝でイースター
エッグを毎年贈られていた想い出からでしょうね。
皇帝一家は慎ましやかで規則正しい生活を送った、と書物は伝えていますから、スイスでの生活も楽しく過ごしているでしょうね。
そして、ヴァシリーサお祖母様とアルフレートパパとの邂逅。
そういえば御初でした。ミハイロフ家と何かと関わりのあるアーレンスマイヤ家の重鎮同士の出会い。
其々に晩節に差し掛かり、自分の心の裡を語るのは、当然の流れでしょう。。
胸の奥にしまい込んでいた蟠りを語る姿に、こんなにも人は改悛の思いを抱きながら、然し、吐露することにより、自分の醜さを認め皆の前で曝け出す、勇気のいる矜持を棄てた言葉に、深く深く心を刺されました。
アルフレートパパの苦い独白は涙なくして読めませんでした。。
そう、ユリちゃんは本当に辛い運命を課せられた少女だったことを忘れてはいけない。早くユリちゃんが幸福になること、そしてこのお話の結末が迫り終わりがくることが何とも悩ましくも嬉しい。
素晴らしいハッピーエンディングが待ち遠しい❣