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~番外編~

ユーヴェル・ヴァイスハイトの日記

(上)

昨年父と再婚したクララさんから手紙を貰った。

二人が移住したベルンで、何と父が指揮者として舞台に復帰するらしい。

曲目はベートーヴェンの「第九」で、誘われて参加した第九のコーラスでの指揮者の病気降板による代役らしいが、ピアニストとして舞台に立っていた頃、父の代名詞のように言われていた得意のベートーヴェンでの十数年ぶりの舞台への復帰に、クララさんの手紙からは並々ならぬ興奮が見て取れた。

―是非、何が何でも父の演奏を聴いてみたい。

矢も楯もたまらず、僕は師のバックハウス先生に暫くウィーンを離れる旨を告げると、ベルンへ向けて旅立った。


僕はかつて大ピアニストだった父の演奏を聴いた事がない。

 

僕が生まれた頃には父は指を壊して、演奏活動を事実上引退し故郷へ戻り、若い頃お世話になっていたという酒場の厨房で働いていた。

ごく幼い頃に親元を離れた僕が知っている父の姿は―、前掛け姿のザワークラウトの香りが漂う大きな手の優しい男性だ。

 

僕を今の師であるバックハウス先生に預けてから、僕たち親子はほとんど会うことがなくなった。
最初の数年はそれでも夏やクリスマスの休暇にレーゲンスブルグへ帰省することもあったが、何しろ父は男やもめなうえに、生活だってそうそう余裕がある訳じゃなかったから、毎度毎度の僕の帰省の旅費だってバカにならない。

 

それに―、

コンサートピアニストとして名声を博し始めた教え子のクララさんに帯同して父はじきに長い休みのシーズンになると、彼女の師として世界中を共に回るようになり(オーストラリアやアメリカ、それに何年か前など、アジアの東の果ての日本にまで行った!)、僕たち親子は次第に距離が遠ざかって行った。

 

物理的な距離は遠ざかって行ったけれど、僕たち親子の心までが遠ざかっていったわけではないから(少なくとも僕はそう思っている)、僕は離れていても常に父の存在は感じていたし、父が幼い僕を手離すときに言ったように、毎日聖書も朗読し、神に感謝し、練習にも熱心に励んだ。絶頂期にピアニストとしての道を断たれた父の無念に応えるためにも、僕は何としてでもピアニストとして成功しなければならなかった。


僕が殊更に熱心に研鑽に励んだのには、もう一つ理由があった。
 

ウィーンに来て僕が耳にした、父が決して僕に話さなかった、亡くなった母の真実。
 

音楽の聖地ウィーンは、一流の音楽家を目指す者にとっては、激烈な競争社会だ。
そこには様々な妬みや嫉み…、決して美しい音楽ばかりで成り立っているものではない。
ドイツの片田舎から大ピアニストに見いだされて出て来た田舎者のぼくは、そこでは格好の妬みの対象となった。

 

そして僕の耳に入って来た、母の過去―。

 

父は僕の母の事を、学がなく思慮は浅かったけれども、愛情深い素晴らしい女性だったと言っていたが、父は―、僕に母の全てを話してはいなかった。…いや、話せなかったのだろう。

 

母は―、ここウィーンで身体を売る生業についていたらしい。
父が母と結婚した時、「イザーク・ヴァイスハイトの唯一の汚点」とまで言われた僕の母。

 

僕が遮二無二に上を目指そうとするのは、父の無念と、それから亡き母の名誉を背負っていたからに他ならなかった。


ベルン中央駅には父が迎えに来てくれていた。

 

数年ぶりに会う父は、やはり前に会った時より少し老けていたが、意外と溌剌として元気そうに見えた。(そりゃ、心身ともに充実してるのだから当然か…)

 

父と継母のクララさんの新居だというアパートに向かった。
決して広くはないが、南向きの窓のある明るいいい住まいだと思った。

 

部屋の中から、大きなお腹を抱えたクララさんが出迎えてくれた。

 

クララさんは―、ウィーンでも何度かお会いした事はあったけれど、こうして見る彼女は―、何だか以前見た彼女の印象とまったく違っていた。…まるで初めて会う人のようでさえあった。

理知的で洗練された大人の女性だと思っていたクララさんは―、ここベルンでは何だか少女のように溌剌として、キラキラしていて―、以前会った時よりも若返ったようにすら感じた。

 

僕は思い切って―、挨拶の最後に、「継母さん…」とつけて、右手を差し出した。

そんな僕をクララさん―、いや、クララ母さんは、ギュッと抱きしめてくれた。

抱きしめてくれたクララ母さんの大きなお腹が、ビクンと大きく動いて僕は思わず「あ!」っと声を上げて、クララ母さんと顔を見合わせて笑ってしまった。

きっと―、生まれて来る僕の弟か妹とも、僕は上手くやっていける。


今のアパートは手狭だから…という事で、僕はベルン滞在中は父の古い友人夫妻の元でお世話になる事になっていた。

 

その夫妻は、父の母校で最近までピアノ科主任教諭の職に就いていた、聖セバスチャンの頃の先輩と同級生だったらしい。

突然お邪魔する僕を、その一家―ゾンマーシュミットさんたちは温かく迎えてくれた。

夫のクラウスさんは、音楽評論家で有名な―、クラウス・ゾンマーシュミット氏だった。
(ゼバスではヴァイオリン科に在籍していて、父とは名コンビだったらしい)

 

そして奥さんのユリウスさんは―、僕は彼女の事を朧げに記憶していた。

 

もう何年も昔の―、レーゲンスブルクにいた頃。
当時父が何かと気にかけて傍についていた金髪の美しい男装の女性を、僕は憶えていた。
間違いない、あの時の綺麗な人だ。
あの頃より幾分か齢は重ねていたけれども、相変わらず美しく、あのころと違って生気に溢れて、何よりとても幸せそうだった。
実は―、あの頃の僕は、彼女の事が少し怖かったのだ。
際立って美しいが、生気のない表情に虚ろな青い瞳―。まるで生きる屍のようだった彼女―。
彼女を怖がった幼い僕に、父が彼女の事を話してくれたっけ。
―彼女はね、愛していた夫と生まれたばかりの娘さんを同時に失ってしまって、悲しみのあまりに、心が壊れてしまった―、可哀想な女性なんだ。

 

そのうち僕はレーゲンスブルクを離れ、彼女も又―、レーゲンスブルクを離れたのだという。

 

十年ぶりに会った彼女は、素敵な夫と可愛らしい娘に囲まれて、とても幸せそうに笑っていた。死亡したと思われていた旦那さんと娘さんに―、奇跡的に再会を果たしたらしい。
あの頃の彼女を知っていた僕にしたら、本当に良かった と心から思った。

 

一人娘のリョーニャは、僕より二つ年上の女学生で、歌をやっているらしい。
(今回の第九も彼女の歌の師の縁でのものだったらしい)
母親譲りの金髪と美貌に、父親譲りの鳶色の瞳が愛らしい子だ。
こんな綺麗な女の子―、大都会のウィーンにだってそうそういない。
女学校を出たら―、ウィーンの音楽院に来てくれればいいのに…。
(と淡い期待を抱いたが、彼女はローザンヌのコンセルヴァトワールを目指しているらしい。…残念)

 

母屋の客室に案内され、荷物を解いて、階下の食堂へ降りていく。

ゾンマーシュミット家で出される食事は、ドイツ料理とは違う食べたことがない味だった。
訊くと、ロシア料理だという。
こってりとクリーミーで、美味しかった。食後にジャムのようなものと一緒に出された甘いお茶も、美味しかった。


翌日―
 

いよいよ父の復活のベートーヴェン、「第九」の本番を迎えた。

 

ユリウスおばさんが拵えておいてくれたお昼ご飯を頂いたあと(この一家も合唱で参加するので、朝食後、揃って会場の公会堂へと出かけて行った)、クララ母さんを迎えに、アパートへ行く。

大きなお腹を抱えた上に、足が少々悪いクララ母さんを庇いながら、ゆっくりと公会堂へ向かった。

 

会場は満席だった。会場内のそこかしこで「イザークが…」「あのイザーク・ヴァイスハイトが…」という声が聞こえてくる。この父の復活を期待している人の多さに、有難いようなプレッシャーのような、そしてそんな父を持ってこそばゆいような、色々な気持ちが沸き起こる。クララ母さんはそんな声を耳にしても意外と冷静で「大丈夫よ。今日のあの人は…」なんてさらりと言っていた。さすが20年来の師弟関係だ。この二人の間の音楽に対する信頼度は誰よりも強固なものなのだと改めて実感した。

 

いよいよ幕が上がった。

 

舞台の上に控えたオーケストラの前に、燕尾服姿の父が登場した。
 

会場内から拍手が沸き起こる。

演奏は素晴らしいものだった。

 

これが―、これが父の音楽。
 

初めて聴く父のベートーヴェンに僕は震えて震えて仕方がなかった。

激しい慟哭のような一楽章と二楽章、魂を柔らかく撫でていくような三楽章、そして苦難の道から開けた光を暗示するような第四楽章―。

僕がいつかこの生涯を終え、―天に召された時に、僕が召される天の国は、きっとこの第四楽章のようなところなのだろう。

 

イザーク・ゴットヒルフ・ヴァイスハイト―。
神の祝福の名を持つ父の音楽は、やはり神の祝福を受けたものであった。

 

演奏終了と同時に、会場は熱狂の渦に包まれた。
公会堂を揺らすような拍手と総立ちのスタンディングオベーション。
そして会場から絶え間なくかかる「イザーク」コール。

父は―、長い時を経て舞台へと戻って来た。

神が与えた試練を乗り越え、共に歩む新しい伴侶を経て―、また神に祝福された光の道を歩き始めた。


会場を包んだ熱気がやっと収束し、ホールの人があらかたはけた後に、僕はクララ母さんを伴って、ホールを出た。

クララ母さんの歩みに合わせてゆっくりロビーに出ると、父が沢山の人達―、観客や関係者、オケの人達、それに合唱の人に囲まれて談笑していた。

父を囲んだ人たちの中でも頭一つ長身のクラウスおじさんが、ホールから出て来た僕たちを見つけ、父の元へ誘導してくれた。

 

この素晴らしい歓喜の歌を会場に鳴り響かせた父に―、僕は妬ましさすら感じた。
これからの僕の演奏家人生で―、果たして僕はこれを超える演奏ができるだろうか…。
感動と共に父から果てしなく高く聳え立った壁を目の前に突き付けられた気にもなった。
(そう言ったら、父は嬉しそうに笑っていた)

 

クララ母さんは…もう言葉が出なかったようだ。泣きじゃくるクララ母さんと僕を、父がその大きな手で抱きしめた。

そんな僕らの姿に、またしてもロビーに居合わせた人達から拍手が沸き起こる。

 

が、

 

今日の劇的な復活劇の感動は、ここで終わらなかったんだ―。

 

  続く

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