クララ・フォン・ザイデルフォーファーの日記 Ⅷ
新生活~洗礼式
Scene.1 新生活
退院し、娘と共に自宅へ帰って来て、娘が加わった新しい生活が始まった。
赤ん坊というものが、こんなにも始終親と一緒にいなければ生きていけない生き物だという事をー、私は初めて知った。
乳を求めてほぼ3時間ごとに泣き叫ぶ。それは真夜中でも早朝でも同じ事だった。
お乳を飲むと当然、お襁褓も濡れる。
濡れたお襁褓を取り替え、汚れたそれを洗濯して干す。
幸い季節は初夏で洗濯物もよく乾き、フェリシア自身もよく寝てよく乳を飲む大人しい赤ん坊で、グズるという事はあまりなかったが、一日中子供の傍らでお乳を与え続け、おしめを替え続けた私は…あっという間に消耗してしまった。
上の姉が出産した時の様子を傍で見ていたけど、裕福な貴族の家庭の奥様の姉は…、育児にしても家事にしても、実際のところは乳母と使用人ら他人の手によって行われていたということを、私は今回痛いほど思い知らされた。
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慣れない育児に翻弄され家事に手が回らなくなった私に救いの手を差し伸べてくれたのは、やはりユリウスと、意外にも私とは血の繋がらない長男の、ユーベルだった。
ユーベルは、幼い頃から親元を離れて生活していた為か、実にしっかりとした子で、まだ年端もいかない少年ながら、掃除、お襁褓の洗濯、買い物と、手際よく甲斐甲斐しく、この(ほぼ)新米主婦で新米の母親を献身的にサポートしてくれた。
ユリウスのところのリョーニャも、家事全般がしっかりと仕込まれていて素晴らしいと思っていたが、この息子も大したものだと思った。
一方ユリウスは掃除洗濯などの他に、ほぼ毎日おかずを作り置いていってくれた。
イザークが仕事から帰ってきて台所に立って拵えてくれる軽い料理と、ユリウスのこの作り置きのお惣菜で、私は一番大変だった時期をなんとか乗り切った。
何も出来ないでいる私がしきりに済まながると、
「あなたのお姉さんもご存命だったら、きっとこうして日参して世話を焼いていたと思うよ」
と言ってくれて、それは私を酷く感激させ、涙が止まらなくなって困ってしまった。
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またユーベルは家事を手伝ってくれる他に、小さな妹の為に、よくピアノを弾いてくれた。
それは、シューマンの「子供の情景」や「森の情景」だったり、メンデルスゾーンの「春の歌」だったりと、大抵が優しいメロディーの小品で、たまにフェリシアがぐずっても、ユーベルがピアノを弾き始めると、不思議とすぐ泣き止むのだった。
「同じように同じ曲を弾いても、ぼくじゃダメなんだよなぁ。どうしてなんだろう?」
とユリウスは不思議そうに首を傾げていた。
娘にはー、兄の音がわかるのだろうか?他愛ないような事かもしれないけれども(そしてユリウスには悪いが)、そんな所からも感じられる兄妹の絆に、私は少し嬉しくなった。
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そしてー、最後になってしまったが、夫のー再び歩みだした演奏家としての、その後だ。
あの「第九」以降、夫は、入院療養が長期に亘りそうな正指揮者に代わって、一応は客演という形で、暫く今の仕事を続けながら、市民交響楽団の指揮台に立ち続けることになった。
目下8月に迫った定期公演に向けて、曲の選定をコンサートマスターと共に進めている最中のようだ。
(この管弦楽団は、年に数回定期公演を行う)
夫はー、どうやらプログラムの中に一曲組み込む予定のコンチェルトのソリストに、ユリウスを推しているようである。
確かに彼女の腕前は、なかなかのものであるが…あまりに夫が嬉々としてユリウスを迎えたコンチェルトの話をするもので…私はしまいには少し妬けてきてしまった!
Scene.2 洗礼式
ユーベルが修業を中断してベルンに滞在している都合上、あまり彼を長くここベルンに留めておく訳にもいかないので、少し早いがフェリシアの生後一ヶ月を待って、洗礼式を行うことにした。
教父と教母はゾンマーシュミット夫妻が引き受けてくれた。
私たちが最も信頼するこの夫妻に、教父母を引き受けて貰えて、本当に良かった。
洗礼式を執り行なう諸費用は、あのラインハルトさんの遺稿のお金で賄う事が出来た。
こうしてみるにつけ、この子の始まったばかりの人生はー、いかに沢山の人たちに支えられ、祝福を受けているのかと、今更ながらそれを思い知らされ、感無量の思いである。
この子もー、いつか自分が支えられ祝福されたように、他人の人生を支え、祝福出来る人になってほしいと思う。
洗礼式のドレスは、この子がお腹にいる時から探していたが、物が不足している昨今、なかなか手に入れるのに難航した。
仕方なく、ほんの僅かだけ残していた私のステージドレスの中で、比較的色の明るいものを解いて作ろうかと思っていたところに、思いもかけない人からー、救いの手が差し伸べられた。
それはー、レーゲンスブルクのキッペンベルクさん夫妻からだった。
小包を開くと、真白のベビードレスが出てきた。
それはたっぷりと生地が取られた上質なコットン地で、繊細なレースと濃紺のサテンのリボンがふんだんに使ってある、上品で、且つ華やかなものだった。
ドレスを手にとった私の、そしてそれを横から眺めたイザークの口からため息がもれる。
ドレスと一緒に、キッペンベルクさんからの短い手紙が添えられていた。
《もうすぐ生まれる、親友とその奥方の愛児の為に。
〜故郷レーゲンスブルグより友愛と祝福をこめて〜
モーリッツ・ガスパール・フォン・キッペンベルク
ベッティーナ・フォン・キッペンベルク》
「きっとこれは…ベッティーナが選んでくれたのだろう。リョーニャのコミニュオン・ソラネルの時も素敵なヴェールとポシェットを選んでいたからね」
夫は上品で上質なそのドレスを見て言った。
私はー、夫人にとって、恐らく一番思い出したくない過去に繋がる者だ。
それでも彼女は私のー私たちの為に骨をおって心配りを見せてくれた。
そして、その作業は、間違いなく旦那様と話し合いながら共同で進められたのだろう。
喜びも痛みも二人で共有して生きていくー、夫婦の絆の強さというものを改めてこの夫妻から教えられたような気がした。
キッペンベルク夫妻には、心からの感謝を込めた礼状を認めた。
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洗礼式は、六月の第二土曜の午前中に行われた。
洗礼式には、息子のユーベルの他、教父母を引き受けてくれたゾンマーシュミット夫妻に、その娘のリョーニャ、娘を取り上げてくれたホフマン先生、それからはるばるレーゲンスブルクからユリウスの姉夫妻であるマリア・バルバラさんとダーヴィトさんが来てくれた。
私もイザークも親兄弟と死別しており、親類縁者のいないささやかな洗礼式だったので、遠くから祝福にわざわざ駆け付けて来てくれたのは、本当に嬉しく有難かった。
式はつつがなく執り行われ、白いベビードレスに包まれたフェリシアは、聖水をかけられた時こそ少しぐずったが、あとは概ね機嫌よくしていた。
式に参列してくれた人々と、貸し切ったレストランへと移動する。
そのレストランはベルンでもたった一軒だけの中華料理店で(私とイザークは、数年前ツアーで訪れた上海で味わった中華料理がすっかり気に入っていた)、中国人の店主にお祝いの席である旨を告げると、おめでたい金と朱色基調のいかにもオリエンタルな祝いの席をセッティングしてくれて、それはとても好評を博した。
竹の蒸籠に盛られた蒸し料理、ソースに絡められた海老や貝、それに大きな葉に盛られた魚料理、さっくりとした衣の揚げ料理に、ふんわりとした生地の饅頭、そしてスープと一緒に供されるヌードル。そして珍しいドライフルーツの入った東洋の白いゼリーのデサートと香りの良い透明なお茶ー。
次々と現れる華やかな東洋の祝いの膳は、参列してくれた人たちの目を奪い、それからスパイスの効いた香りを楽しみ、その後で使い慣れない箸にワイワイ言いながら舌鼓を打った。
(クラウスは、中国の老酒に口をつけ、「何だか…甘いな」とかボヤいていたが、結局一番グラスを重ねたのは、やっぱりというか、彼だった。…ロシア人の酒量は、聞きしに勝る凄まじさだ。)
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この祝いの席で、フェリシアは沢山の洗礼のお祝いを頂いた。
ダーヴィトさんとマリア・バルバラさんからは、フェリシアの誕生石であるエメラルドのついた金のベビーリングを頂いた。それは私の結婚指輪を直して頂いた職人さんの手によるもので、リングの石を留めた台の裏には十字架とフェリシアの頭文字のFを組み合わせたモノグラムが彫り込まれていた。
リングには、成長してからも身につけられるようにと、金の鎖もつけられていた。
(リョーニャが、「私が伯父様からコミニュオン・ソラネルのお祝いに頂いたバングルも、その職人さんの作品なの!」と腕に嵌めた銀のバングルを嬉しそうに見せてくれた。私の指輪とリョーニャのバングル、そしてフェリシアのベビーリングは…いわばお揃いという訳だ)
教父母のゾンマーシュミット夫妻からは、定番の名前入りの聖書が贈られた。表紙の内側に、金の箔押しで、フェリシアの名前が刻されていた。
そしてホフマン先生からはロザリオが、そしてリョーニャとユーベルからは、エナメル細工の美しい小箱が贈られた。
聞くと、抜けた乳歯を収める箱らしい。
二人がお小遣いを出し合って、街の小間物屋であれでもない、これでもない…と選んでいる様子が目に浮かび、微笑ましくも、ありがたかった。
参列してくれただけでも有難いのに、こうして皆から心尽しの贈り物をされると、改めて、ああ、この子はこの世に生まれてきて、この度正式に社会に組み入れられたのだなあと実感した。
実際に経験してみて、我が子の洗礼式というものが、こんなに感動するものだという事を、初めて知った。
祝いの宴がはけた後、参列してくれた人々に、祝い菓子の月餅と中国の香りの良いお茶を持ち帰ってもらった。一風変わったその祝い菓子は、皆からも好評で、殊に香りの良いチャイニーズティは、女性陣からとても好評だった。
この子はー、まだ何も知らないけれど、いつか大きくなった時に、今日の洗礼式の事を、皆がこの子を想って祝福してくれた事を、語って聞かせてあげようと思いながら、私たちは帰路へついた。