《これからユリウスに付き添って病院へ向かいます》
ヴェーラからメールが入った。
冷静を装うものの
「今日はもうあちらへ向かわれては?いよいよなのでしょう?」
「…」
とあっさりロストフスキーに見破られて、レオニードは気まずそうに押し黙る。
「どうせ有給は有り余っているのでしょう?…こういう時に使ってもバチはあたりませんよ」
ー さあ。
「すまぬ…」
ロストフスキーに背中を押されるように、レオニードはそそくさと帰り支度をすると、デスクを立った。
執務室を出るレオニードの背中に
「近いうちにアナスタシアとお見舞いに伺います」
とロストフスキーが声をかける。
その声に「分かった」というように、背中を向けたままレオニードはロストフスキーのその声にヒラヒラと手を軽く振って見せ、執務室を後にした。
足音が遠ざかる音がしたかと思うと、程なく庁舎を出るレオニードのベンツが窓から確認出来た。
「早!」
窓の外を眺めていたロストフスキーが、遠ざかるレオニードの車に向かって小さく呟いた。
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「辛いか…」
陣痛が来るたびに顔を顰めてそれに耐えるユリウスの背を摩る。
「ありがとう…そう、して、くれる、と…だいぶ…ラク」
痛みに耐えながらユリウスが答える。
やがて陣痛の波が去って行ったようだ。
ユリウスがふぅ、と長い呼吸を吐く。
そんなユリウスの額に浮かんだり汗を傍らのタオルで拭ってやり、髪を優しく撫でる。
「…何か、軽く食べるか?」
「ううん…いい。お水、ほしいな」
レオニードがペットボトルのミネラルウォーターにストローをさして手渡す。
「ありがと…」
ユリウスが渡されたミネラルウォーターで喉を潤し一息つく。
「レオニードこそ、今のうちに何かお腹に入れておいた方がいいよ。…これからまだかかるから。ね?ちょっと外の空気吸ってきたら?」
逆にお産の始まった妻に気遣われる。
「そうか…」
「うん」
「強いな…おまえは」
「だってお母さんだもの」
ユリウスがそう言ってレオニードに笑いかけた。
ー じゃあ、お言葉に甘えて、少し出て来る。
レオニードが産室を出た。
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「大丈夫だ。俺を信じろ!…そうだ。またすぐ戻るからな」
レオニードがLDRルームから出ると、隣室も丁度お取り込み中らしく、開きかけたドアの内側から、妊婦の夫らしいよく通る力強い声が聞こえて来た。
ー まだ若そうな声だが…随分と落ち着いたものだな。
感心半分で、レオニードが思わずその開きかけたドアに視線を向ける。
「あ!」
開いたドアから勢いよく出て来たその人物はー!
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「あ!」
お産の始まった妻を激励し、勢いよく産室から出て来た、その人物は、レオニードもよく知る人物ー、アレクセイ・ミハイロフだった。
目が合った二人が同時に小さく声を上げるが、そのあとはお互いどうしたら良いか分からずに気まずそうに押し黙る。
「…貴殿の所は、もう少し先だと…妻から聞いていたが」
気まずい沈黙を先にレオニードの方から破る。
「ウチは、双子だからな。だからちょっと早まったんだ」
会話も弾む筈もなく、再び廊下に大男二人が無言でたたずむ。
今度はその気まずい沈黙をアレクセイが破る。
「あんたも、腹拵えに出て来たんだろ?メシ食いに行こうぜ」
ー ここのカフェテリアは、なかなか美味いんだ。
そう言うとアレクセイはクイと顎でレオニードを促して、スタスタと歩き始めた。
「あ、あぁ」
ハッと我に返ったレオニードがその背中を追いかける。
ここはな、ピッツァやパスタも美味いが、今の状況だったら注文したらすぐ出て来るサンドイッチかハンバーガーだな。どっちも中々ボリュームがあって味もイケるぞ」
二人が向かい合いで腰掛け、頭を突き合わせてメニューを覗き込む。
アレクセイが親切にもレオニードにメニューの説明をする。
「随分と詳しいな…」
「ウチは双子だからな。あんたンとこより沢山病院へ来てるからな」
「その度付き添ってたのか⁈」
レオニードが少し驚いたように目を瞠る。
「まあ…可能な限りな。お陰でこの病院にはすっかり詳しくなっちまったぜ」
「この病院ならば…私とて詳しいぞ。あれも2度目だし、ヴェーラもリュドミールも…ここで生まれたからな。…尤もその頃からすると、建物も全面改装されているが…」
レオニードが負けん気を出してアレクセイに張り合う。
「ヒュ〜!あれ…か。ごっそーサン。…ハイハイ、この病院はあんたら上流階級御用達だもんな。兄貴もここで生まれたらしいし」
「貴殿とて同じでは…」
そこまで言ってレオニードはハッと思い出したようにその続きを飲み込んだ。
「俺は婚外子だからな。残念ながらココじゃないワケよ」
特段気にする風でもなくアレクセイはそう言うと、「食えば?あいつ待ってんじゃね?」と運ばれて来たサンドイッチをレオニードに勧めると、自分が注文した分厚いハンバーガーにかぶりついた。
「先ほど…産室を出た時に、貴殿が夫人を激励するのが耳に入って来た。…若いのに、随分と冷静で落ち着いていられる…と、正直感心していた…」
運ばれて来たクラブハウスサンドで腹ごしらえををしながら、レオニードは先ほど感じたことを打ち明ける。
そんなレオニードの告白に特に相槌を打つでもなく、注文したハンバーガーをパクつきながらアレクセイは目の前の相手の話に耳だけ傾ける。
ハンバーガーをあらかた平らげ、小さなマグカップのコンソメスープを腹に流し込んだアレクセイが、「すいません!コーヒーお代わり」とウエイトレスを呼ぶ。
ステンレスのコーヒーポットを手にしたウエイトレスが二人のカップにコーヒーをつぎ足す。
湯気を立てたコーヒーを一口すするとアレクセイが口を開いた。
「俺は、10歳で母親と死に別れてミハイロフの家に引き取られるまで、お袋の実家のど田舎の村で暮らしてたんだ。お袋の実家は大きな農園で、馬や牛や山羊や豚…それから犬や猫も…とにかく沢山の動物がいた。そこにいる動物たちの出産に、子供の頃から俺は幾度も立ち会ったものだ。牛に馬に、犬に豚。それから軒下に住み着いたノラ猫のお産をこっそりと見届けたこともあった。獣に出来て俺のアルラウネに出来ない道理がない」
シレっとアレクセイが言ってのける。
「獣と一緒か…」
「人間だって獣だぜ?…でな、幼い俺が動物たちのお産から学んだのは、「最終的には信じて待つことしかできない」って事だった。獣医でもない、ましてや出産する当事者でもない、傍でちょっとした手伝いをするぐらいしか出来ない子供の俺は…あの現場では無力な存在だった。俺に出来た事は励ましながら信じて祈るぐらいだった。…まあそれは今度も変わらないだろうな。俺は医療関係者のような技術や知識もないし、ましてや出産する当事者でもない。もう全てを彼らに任せて傍で祈るしかないんだよ。…無力だよな~。俺らって」
そう言ってアレクセイはふ~っとため息をついて肩を竦めて見せた。
「ふ…。達観してるな」
「あんたは…あいつの出産に立ち会うのは初めて?」
「ああ。…前回は演習と重なって叶わなかった」
「そっか。。大変だな。軍人さんも」
「貴殿を…見直した」
「そりゃ、ありがとさん。なんせ雑草育ちなもんでね。…ごちそう様でしたっと。じゃあ、俺は先行くぜ」
― グッドラック!
あっという間に特大ハンバーガーに付け合わせのフライドポテトとピクルス、コンソメスープにコーヒー二杯を平らげたアレクセイは、テーブルを立ち、カフェテリアを後にした。