intermezzo ~Porcelain dream
「どうかしら?…うちの陶器工場の、プリントもののデザイン画を描いてもらえないかしら?」
それは
思いもかけない申し出だった。
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世界中を巻き込んだおよそ5年にわたる戦争が終わり、当然だがそれによって人々の生活、社会環境が大きく変わった。
ヨーロッパの最東、ロシアでは300年に及ぶ大きな王朝が斃れ、世界初の社会主義国家が誕生した。
ロシア以外でもドイツ、オーストリアで革命が起き共和制が敷かれ、イギリスでは労働党が議席を伸ばし、ヨーロッパ各国で左派寄りの政党が躍進し、または与党となり社会主義的な政策を敷いていった。
時代は君主や貴族といった旧支配者を必要としなくなり、社会は概ね均衡化の方向へと向かって行った。
社会全体の格差が均されたことと、産業の機械化が進んだことにより、今までは職人の手によって一つ一つ生産されていた贅沢品が、手頃な価格で手に入る既製品と取って代わるようになった。
ファブリックや陶器に職人の手によって一つ一つ丹念に刺され、又は描かれていた模様は、工場で印刷されるプリントに取って替わった。
長い戦争とそれに伴う戦時の閉塞感から解放された人々の間に美しいものへの需要が生まれ、更に機械化による工業生産性の向上がそれを後押しし、華やかな模様の描かれたファブリックや食器などが安価な価格で手に入るようになり、それらは徐々に庶民の間に浸透していった。
こうした時代の変化を汲み、アーレンスマイヤ家が持っていた陶器工場でも、新たにプリントの機械を導入し、庶民向けの安価な食器を生産することとなった。
なったのだが…。
以前から陶器の絵付けをしていた職人たちが、その矜持からプリント部門のデザインに携わることを拒んだ。
手描きによる絵付けの高級ラインは以前通り残すこと、デザイン料は別に支払うことを重々職人たちに言って含めたのだが、話し合いは平行線の一途を辿り、職人たちの首を縦に振らすことが出来なかった。
機械は導入したものの、プリントする原画がない。
予想外の展開に困り果てていたマリア・バルバラが頭を抱える。
頭がズキズキと痛んでくる。
思わず眉根に皺を寄せ、傍のクッションを抱き抱えた。
ふぅ…。
ため息を一つつき、そのクッションに顔を埋める。
その時に、ふとクッションの刺繍が目に入ってきた。
このクッションカバーの刺繍は、妹のユリアが結婚前にマリア・バルバラの誕生祝いに手づから刺繍して贈ったものだった。
当時流行していたアール・ヌーヴォー風の紫色のグラデーションのアイリスが美しい。
ーー確か、このデザイン画をおこしていたのは…!
マリア・バルバラの目の前に光明が差した。
すぐさまユリアのオフィスに電話を回す。
「もしもし、ユリア。わたくしだけど…。明日、いいえ、今日!今晩こちらに夕食に来られるかしら?レナーテさんも!ちょっと相談したいことがあるの」
〜〜〜〜
夕刻、ユリアとレナーテ、それからリーザの三人がアーレンスマイヤ家を訪れた。
「急にお呼びたてしてしまってごめんなさいね」
食堂に案内され、まずは晩餐となる。
「リーザは学校はどう?」
「楽しいわ。私とテレーゼ、今度のチャリティイベントの実行委員になったの。今はバザーに出品する品物を集めるので大忙し」
「そのようだね。うちでも専ら最近の話題はそれだね。ゼバスのオーケストラと、女学校のオーケストラ同好会との合同演奏もあるのだよな?連中もお嬢様方にいいとこ見せようと大張り切りだ」
「まだ我が家からも出せるものがあるだろう。執事に後で聞くと良い」
「え〜?だってアーレンスマイヤ家からはあんなに提供してもらったのに!…いいの?」
「構うものか。まだ何かしらあるだろう」
「ありがとう!おじいちゃま!これでテレーゼと私の面目が立つわ!大好き!おじいちゃま」
「励みなさい」
主に娘たちの学校の話題で、和やかに晩餐は進んでいった。
〜〜〜〜
夕食後、大人たちが場所をサロンに移し、いよいよマリア・バルバラが本題を切り出した。
「実は、今日お呼びたてしたのは…レナーテさんにお願いがあって」
思いがけない言葉に、レナーテがわずかに目を見開く。
「わたくし…ですか?」
「これ、覚えているかしら?」
マリア・バルバラが先ほどのクッションをレナーテとユリウスの方へ差し出した。
「あ!これ…」
「ぼくが随分昔に、姉様のバースデープレゼントに刺して贈ったやつだよね?…懐かしい」
「あの…この刺繍が?」
「この刺繍のデザイン画って、レナーテさんの手によるものでしたわね?」
「ええ。そうですが」
「そういえば母さん、あの頃刺繍の下絵を色々な方たち…キッペンベルク夫人らにも頼まれていたよね」
「ホホ…そんなこともあったわね」
ユリウスの結婚前、キッペンベルク夫人が開催していた刺繍の会で、ユリウスが刺していた刺繍のデザインが美しいと評判になったことがあった。そのデザインが彼女の生母のレナーテによるものだと分かり、キッペンベルク夫人やそのお取り巻きたちがレナーテにデザイン画を依頼し、それがきっかけであのうるさ型の気位の高い夫人方との距離が随分と縮まっていたりしたのだった。
(その後ユリウスの結婚によりフランクフルトへつき従って行くことが決まったレナーテは、最初の頃からは想像もつかないことだが、キッペンベルク夫人たちから大いに別離を惜しまれてレーゲンスブルクを発ったのだった)
「でね、その画才を活かして…、うちの陶器工場の、プリントの原画を描いてもらえないかと思って…」
「わ、わたくしが?…ですか?」
「ええ。このクッションの刺繍のような、花鳥のデザインを何点か。最初はうちの古くから絵付けを担当している職人に頼んだのだけど…断られてしまってね。機械も導入したし、だけど肝心のデザインがない…で、困っていたの。わたくしを、工場を助けると思って!お願い出来ないかしら?」
突然の降って湧いたこの申し出に、レナーテとユリウスが顔を見合わせる。
「…やってみたら良いのではないか?」
マリア・バルバラに援護射撃を出し、レナーテの背中を押したのは、そのやりとりの一部始終を横で聞いていたアーレンスマイヤ氏だった。
「とうさま…?」
「お前は…昔陶器の絵付け師を目指して、必死に夢に向かって頑張っていたではないか。…その夢を結局私が潰すことになってしまったが…。当初の夢の絵付けではなくプリントのデザインだが…遠回りをして、お前の夢が再び近づいてきたということではないのか?挑戦してみてはどうか?」
「アルフレート…」
「え?母さんて…絵付け師を目指してたの?!」
娘の自分ですら知らなかった母親の過去にユリウスが目を瞠る。
「ええ…。随分と昔の、娘の時分の話よ。…母さんね、子供の頃から絵が好きで、陶器の絵付け師になりたくて、マイセンの陶器の絵付け学校に行くお金を貯めるために、年齢を偽って酒場で働いていたの。ウチは貧しかったから…そうして自分でなんとかしてお金を得るしかなかった。そこでね…この人、アルフレートに会ったの」
「美しさもさることながら…いつか絵付け師になりたい。そのためにここで働いてお金を貯めている…と語ったまっすぐな瞳に…私は強く惹かれたのだ」
珍しいアーレンスマイヤ氏の衒いのない惚気に、レナーテが僅かに頰を染め俯く。
「そっか…。母さんにも、夢があったんだね。やってみれば?母さんの絵が素晴らしいのは、ぼくがよーく知ってるよ。それに、キッペンベルク夫人をはじめとするこの街の御婦人方もね。母さんのデザインしたお皿やカップが…色々な家庭のキッチンを彩るのを想像すると…ぼくドキドキするよ。それってステキなことだよ」
「…そうかしら?」
「絶対そうだよ!やるべき。今こそ、昔手放した夢を叶えるべきだよ」
ユリウスとアルフレートの二人に背中を押されて、レナーテが決意を固めた。
「家に…画帳があるので、それも見て頂けますか?」
「ええ。是非とも!ありがとう。レナーテさん。これで…ようやくプリント部門が始動できるわ。こちらもデザイン料などを改めて文書にして提示させて頂きます。それを検討した上で契約書を作成して…」
「え?えぇ!?…そんな、デザイン料とか契約書だなんて…私はそんなこと…」
マリア・バルバラの申し出に恐縮したレナーテが、驚いたように両手を振りながらそれを固辞しようとしたのを、ユリウスがやんわりとたしなめる。
「ダメだよ。母さん。これはビジネスなんだから。母さんのデザインに対する報酬はちゃんと受け取らなくちゃ。契約もちゃんと交わして!」
「分かったわ。…ではマリア・バルバラさん。そのお話を前向きにお受け致します。これから宜しくおねがいします」
「こちらこそ。良いビジネスパートナーとして、やっていきましょう」
マリア・バルバラとレナーテが固く握手を交わした。
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結論から言うと、レナーテのデザインした優しい雰囲気の花や鳥や動物のプリントされた食器は庶民の間で人気を博し、大当たりした。
その後ファブリックやアーレンスマイヤ商会傘下の食品のパッケージ、クリスマスやイースターの際に配布されるノベルティのデザインなども一手に手がけるようになり、遅咲きのデザイナーとして多忙な日々を送るようになるのだった。
