祝福の薔薇
~ 誰だって、お父さんとお母さんがいて、そして天から祝福されてこの世に生まれ出でるんだ。この世に生きとし生けるものに…すべて等しくお父さんは存在するんだ。~
(作中より)

「父様、おはよう」
いつものように父様の部屋を訪れる。
いつもと違うのは、ぼくが両手に抱えていたピンクの薔薇の花束。
ぼくが両手いっぱいに抱えているそれを目にした父様の不思議そうなその顔に、
「ふふ。今日はね、父の日だよ。…父様ご存知ない?」
と花瓶に活けながらぼくは答えた。
「今まで…そんな日とは無縁だったものだから…」
父様が口ごもりながらきまり悪そうに弁解する。
「うふふ。そうだね。…でもそれは、ぼくも同じだよ。だから、これからは…今まで無縁だった父の日をずっと祝って行こうよ。…来年も、再来年も、その次も…ずっと」
― よいしょっと・・・・。
いつものように介助しながらぼくは父様の骨ばった身体をギュッと抱きしめた。
抱きしめられた父様の、ぼくの肩に回された両腕も、それに応えるようにぼくを抱きしめてくれた。
力強さが日に日に戻って行く父様の身体 ―。
きっと、こうして日に日に父様の身体は健康を取り戻し、来年も、再来年も…その後もずっと…、ぼくたちはこの初夏の祝日を祝い続けてゆけるのに違いない…。ぼくは父様の身体に漲っていく生命の力をしみじみと感じながら、その温かな両手の温もりに包まれていた。

「ねえ、父様。父の日に贈る薔薇はね、本来ならば存命中のお父さんには赤い薔薇、そして天へ召されたお父さんには白い薔薇を贈る慣わしなんだ。…だけどね、何故ぼくが父様にピンクの薔薇を贈ったか…わかる?」
…チョキ、チョキ…
いつものようにお髭をカットしながら父様の顔先でそう言ったぼくに
「さあ…何故かな」
と父様が言葉少なく答える。
「それはね…」
手を動かしながら、ぼくは…あのフランクフルトの初夏の街並みへと想いを馳せる。

「昔、子供の頃ね。まだぼくが母さんと二人、フランクフルトに住んでいた頃だよ。ちょうど今ぐらいの時期に、街頭にたっくさんの薔薇を 並べた花売りのおじさんが来ていたんだ。大半は赤と白…それから、ちょっとだけどピンクや絞りの薔薇や…季節の紫陽花やライラックもあったかな。…今にして思うときっと父の日が近かったからそのための父親に贈る薔薇を売りに来ていたんだよね。ぼくね、父の日なんて知らなかったから、綺麗だな~、こんなに薔薇が沢山できれいだな~って、そのおじさんが街頭に店を構える度にいっつもその様子をじっと見ていたんだよね」

いつも店を構えると少し離れたところからその様子をじっと見つめている金髪の子供に、花売りは「やあ」と声をかけてみた。
不意に声をかけられた子供は、一瞬びっくりしたような顔をみせたものの、花売りの友好的な態度に、おそるおそる近寄って来た。
こうして近くで見ると、とても綺麗な子供だ。
抜けるような白い肌に、天使のようなクルクルとカールした短めの金髪。そして整った顔に一際輝きを放っている大きな二つの碧の瞳。
― 男の子?…いや、女の子か?
そのどこか性を超越したような幼いながらも圧倒的な美しさと、男の子のようななりから、今一つ性別が判然としない。
少し訝し気な表情で目の前の子供を見定めようとしていた花売りに、子供の方から口を開いた。
「どうして薔薇ばっかりこんなにあるの?」
にこりともせずに大きな瞳で自分の顔をじっと見つめながらそう問いかけて来た子供に
「どうしてって…それは父の日が近いからさ」
と答える。
「父の日だから、薔薇を売るの?」
尚も真顔で問いかけてくるこの天使のような子供に、
「父の日に贈る花は薔薇と相場が決まっているからね。生きているお父さんには赤い薔薇、天に召されたお父さんには白い薔薇。…知らなかったかい?」
と再び答えてやる。
「うん。初めて知った。…だってうちにはお父さんがいないから」
花売りの言葉に子供はそう答えた。
― 母子家庭か?!こりゃ可哀想な事を言ってしまった。
「そうだったのか…。無神経なことを言ったね。ゴメンよ」
詫びてみても後の祭りである。
だけど、詫びられた当人はさして気に留めている様子もなく、
「別にいいよ。本当の事だし」
と至極あっさりとしたものである。
「ぼくの母さんは、父様の“めかけ”だったんだ。だけどぼくが母さんのお腹にいる時に、お腹のぼくごと母さんは棄てられちゃったんだ。…だからぼくには父様はいないんだ」
― あちゃ~~~…。
どうやら相当な失言をしてしまったようだ。
暫く二人の間に気まずい沈黙が流れる。
その沈黙を再び子供の方が破る。
「ねえ、ぼくみたいな最初からお父さんがいない子供は、どうしたらいいのかな?ぼくみたいな子供は綺麗な薔薇で父の日を祝えない?」
そう言って僅かに小首を傾げじっと見つめて来た子供に、花売りが答える。
「お父さんのいない人間はいないよ」
その言葉に少し目を瞠った目の前の子供に花売りが続ける。
「誰だって、お父さんとお母さんがいて、そして天から祝福されてこの世に生まれ出でるんだ。この世に生きとし生けるものに…すべて等しくお父さんは存在するんだ。おじさんにも、そして君にもね。…じゃあこうしよう。君のような子供は…、赤と白の中間の、そうだ―、この可愛らしいピンクの薔薇にしよう。いいかい?君がこの世に生まれて今こうしてここに存在している。それこそが、この世界から、神様から祝福されている証なんだよ」
「ぼくにも…お父さんがいる?」
「ああ」
「ぼくは…祝福された…こども?」
「もちろんだ」
おずおずと聞いて来る子供に力強く頷いて見せると、花売りは売り物の活けてあるバケツから小振りの花をたわわに咲かせたピンクの薔薇を一枝抜くと、その小さな白い手にそれを握らせた。
「このピンクの薔薇は、おじさんから君と、それから君のお父さんへのプレゼントだ。…いつかお父さんと幸せな時間を過ごすことが出来るよう祈っているよ。…このピンクの薔薇のような可憐なお嬢さん」
― 可憐なお嬢さん!
女の子だという事を見抜かれたその子供―、7歳のユリウスが驚いて目を見開いたその時に、
「ねえお花屋さん。その白い薔薇を花束にして下さらない?父の墓前に供えるから」
と客がやって来た。
渡された薔薇を手にし、びっくりした表情で固まっているユリウスに、花売りは「もう行きなさい」と目で合図しながら、「ありがとうございます。幸せなお父様ですね~。どのぐらいの花束にしますか?」と接客にかかる。
ユリウスは今一度、花屋ににっこりと天使の笑みを投げかけると、踵を返し、その花売りの前から走り去って行った。

「あの時は本当に嬉しかったなぁ。ずっと《父なし子のユリウス》と言われていたぼくにも、お父さんがいるんだよ とそう言ってくれて…。だからね、ぼくにとって父の日を祝うお花は、赤でも白でもなく、ピンクの薔薇なんだ。ぼくにとって父の日は、ピンクの薔薇に、まだ見ぬお父様と、それからぼくにも父親がいるんだと力強く言い切ってくれた、あのお花屋さんに想いを馳せながら感謝を捧げる日だったんだ」
― ハイ!終わり。お疲れ様でした。
お顔を預けて髭をトリミングしてもらいながらピンクの薔薇に込められた幼い頃のぼくの回顧にじっと耳を傾けていた父様がぼくを手招きする。
「おいで、ユリウス」
「?」
父様の顔の高さに屈んで、顔を寄せたぼくの髪に、父様の大きな手が伸びる。
屈んだぼくの、一つに束ねた髪をそっと解くと、父様は傍らの薔薇を一枝抜いてぼくの髪に挿し、優しく目を細めた。
「綺麗だ」
― 清らかな私の娘・・・。
ぼくに向けられる父様の優しい眼差し。
ぼくの髪を撫でる父様の骨ばった大きな手。
僕の名を呼ぶ低く落ち着いた声。
― いつか、お父さんと幸せな時間を過ごせるといいね。
あの時の、花売りのおじさんの言葉が耳の奥で響く。
ぼくは…今とても幸せだ。
END

〓〓〓〓〓 あとがき 〓〓〓〓〓
父の日というものが始まったのは、南北戦争後のアメリカで、とある夫人が男手一つで自分達兄弟を育て上げてくれた亡き父に感謝し、墓前に白い薔薇を供えたのが最初と言われております。(Wikipediaより)
(ちなみに日本では父の日の薔薇は黄色が定番のようです)
『オルフェウスの窓』の第一部の時代設定である1900年代初頭から中ごろのドイツで、果たしてこの素敵な記念日が普及していたかどうかは、正直分かりません。
ですが、拙作《ボーイミーツガール》シリーズでせっかくお父さんと和解し、蜜月を送っているユリちゃん(とアルフレート氏)なので、是非この二人に素敵なこの初夏の祝日を祝ってもらう事にしました。
全てのお父さんへ、そしてそのお父さんの子供達へ。
感謝と愛をこめて。
Thank you!Papa
×××
