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第九十九話 Ⅳ

Scene.4

 

「ユリウス!ユリウスったら!!」

 

「え?な、何?」

 

「何?じゃないわよ~。今すっごい顔してた!」

―― こんな顔~~!

 

そう言ってベッティーナが思い切り眉間にしわを寄せて今していたであろうぼくの表情を真似してみせた。

 

「もうすぐお式を挙げる花嫁さんが、どうしたというの?…あなた最近わりとしょっちゅうそう言う顔、しているわよ?」

 

カタリーナにも険しい表情を指摘される。

 

「え?ええ~~?…ぼくそんなにしょっちゅうそんな顔…してた?」

 

「ええ」

 

―― ね?

 

ベッティーナとカタリーナ、それからフリデリーケが顔を見合わせて頷き合った。

 

「まいったな…。つい、本番の曲の事を考えていると…」

 

慌てて表情を緩めて、そう弁解するぼくに、

 

「本番て…例の音楽祭でしょう?ヴォルフィも今練習が佳境にはいっているようで、毎日毎日寝ても覚めても「愛の死」…よ」

 

とベッティーナも音楽祭でワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』から「愛の死」を演奏する予定の息子に話題を馳せる。

 

「そう。それ。あはは…ヴォルフィもかぁ。リーザも今、頭の中トリスタンとイゾルデでいっぱいみたい」

同じくオケの一員として出演予定の娘と一緒か。

 

 

「人の事言えないわよ。あなただって…。一体そんな顔して何を演奏するというのよ?」

 

「うん。ラロの「スペイン交響曲」。…とても荒々しくて力強い曲で…すっごく大変なんだ。練習始めた頃なんて、何度弾いても何度弾いても「違う!」「もっと強く」って…。クラウスからダメ出されっぱなしで…」

 

練習を開始した数か月前の事がしみじみと思い出される。

 

~~~♪~~~

 

練習に練習を重ねていくこと数か月。

いよいよ本番を間近に控えた今は、(アレクセイのスパルタレッスンの成果もあって)だいぶそれっぽく仕上がって来てひとまず曲が形になって来て、まずはホッと胸を撫でおろしているところだ。

(最初は本当にダメ出しの連続でどうなるかと思った)

 

ぼくの演奏に力強さが出て来たのは、積み重ねて来た練習の成果も、勿論あるんだけど、実はそれだけではなくて・・・・。

 

妊娠も中期に差し掛かってきたぼくの体型はここへきて割と目に見えるように変化が出てきた。

初期の食いづわりと、どうやらお腹のこの子は結構大きな子供のようで(もう10年以上も前になるけれど、リーザの時とは感覚が全然違う!)、妊娠前の体型から比べると、ぼくの身体はかなりふっくらとしてきていた。

手足や顔はそのままなので、あまり周りからは分からないみたいなのだけど、もう、今まで着ていた洋服はどれもウェストが窮屈になり始めている。

先日なんか、ベッドでいつものようにナイティの中へ手を忍ばせて来たアレクセイにも言われてしまった。。

「お前、ふっくらしてきたな」

って…。

 

その妊娠によるウェイトの増加という事態が、ぼくの演奏に思わぬ「副産物」を与えたんだ。

つまり今までウェイトが足りないために不足していた「音の力強さ」が、増えて来たぼく(とお腹の子供)の体重の分だけ物理的に増してきたということだ。

 

日々力強さを増していくぼくの音に、アレクセイも目を瞠っている。

 

「お前、だんだん音に迫力が出てきたな」

って!

 

曲の完成度が上がって来ると、断然本番へのモチベーションも上がって来る。

 

― もっと強く!

― もっと荒々しく!熱く!!

 

そう考えていると…つい、さっきみたいな怖い顔になっちゃうんだ。

 

~~~♪~~~

「もぅ。本番もいいけれど、あなたその翌日はお式なのよ?ピアノばかりにかまけていないで、そっちの準備は進んでいるのでしょうね?分かってる?」

 

「勿論!クラウスと、それから母さんがぼくの代わりに会場へ出向いてくれて、どんどんお式の進行やセッティングの手配もしてくれているし。あ!そうそう。今日はね、ブライズメイド達の衣装が上がったから、これからアーレンスマイヤ屋敷へ行って、三人に袖を通してもらうんだ。モーヴ色のディアンドルでね~。とっても可愛らしいんだよ」

 

そんなぼくにフリデリーケがおずおずと切り出した。

 

「あの…。ユリウス様は?お式のドレスはどうされるのですか?」

 

「え?ぼく?ぼくはね、マリア・バルバラ姉様にドレスを借りることになっているの。シンプルだけどカッティングが美しくて、生地の良さが引き立って…とても素敵なんだ」

 

ぼくの言葉に、あとの三人が顔を見合わせる。

 

「あの…差し出がましいようですが、ユリウス様…。ご試着はされていますか?」

 

フリデリーケの問いかけにぼくは答えた。

「うん。挙式が決まった時に。姉様に「ドレスを貸してほしい」って、その時に」

 

ぼくの返事に、後の三人が神妙な表情で顔を見合わせている。

 

 

「あの…ユリウス様…」

 

フリデリーケが後の二人に目でせっつかれて、少し困ったように続ける。

 

「妊婦さんは、特に人によってはちょうど今頃から体型が大きく変化し始めます。妊娠初期にぴったりだったドレスが、今もピッタリとは限りません。特にユリウス様のお腹の赤ちゃんは…ちょっぴり大きめなので…その、今一度、ドレスを試着されてみた方がいいと思うのですが…」

 

「そうよ。マリア・バルバラさんのドレスなのでしょう?普段ならばともかく、彼女も細いから、今のユリウスだと正直…」

 

「ええ。…私も彼女のお式に参列したから覚えているけど、マリア・バルバラさんのスレンダーな体形を美しく見せていた、細身のシルエットのドレスだったわ」

 

三人の指摘とぼくの腹部に注がれた視線に、ぼくは愕然として思わず自分の胴回りに視線を落す。

 

…た、確かに。。

腕や脚こそあまり変化はないものの…ウエストは…通常よりもかなり…ふっくら…いや、ボリュームを増しているかも…しれない。

それに…実はヨールカの休暇の時に、お祖母様にも言われていたんだ。。

 

 「ユリウスや。お腹の子供がもし…男子だったら、あなたもしかしたらちょっと難産になるかもしれませんね」

―― ホラ、この子を見て分かるように、ミハイロフ家の男子は皆大きいのですよ。

お祖母様がそう言って傍らのアレクセイにチラリと視線を向けた。

 

「わたくしも、それからわたくしの嫁…つまりドミートリィの生母ですね も、お腹の子供が結構大きくて出産には苦労したのですよ。だから…脅かすつもりではないのですが、もしそうだったら…一応心づもりというか…覚悟はちょっとしておいた方がいいかもしれませんね」

 

アレクセイも言う。

 

「そう言えば…死んだ母さんも言ってたな。「おなたは大きな赤ちゃんだったから、生まれてからはお乳もよく飲んでよく眠って…とても性の良い子だったけれど、産むときはとても大変だったわ」って」

 

 

 

「ど…どうしよう…」

 

顔色を失い思わず縋るように三人に視線を向ける。

 

「と、とにかく。今日もう一度、ドレスを試着してみなさいな」

 

「そ、そうね。…今ならば若干のサイズのお直しも間に合うわ」

 

「…どうしよう。…若干のお直しで…間に合えばいいのだけど」

 

念願かなって実現したお式にまさかのドレスが間に合わないなんて…そんな!

 

さっきまで舌鼓をうっていたキッペンベルク家ご自慢のチョコレートケーキも、この危機ににわかに味が感じられなくなる。ぼくは思わず口に運びかけていたフォークをカタンとケーキ皿に戻した。食いづわりとか言って…ちょっと調子に乗って…食欲の赴くままに食べ過ぎていたかもしれない。今日から…ううん、今からちょっと節制すればなんとかお式までには…、

 

「ユリウス様。…誤解のないように申しておきますが、ユリウス様は現状でも決して太っているわけではございませんよ。ただいつもよりはふっくらとしてきた というだけですので、まさか…ドレスのために今からダイエットを始めるなんてことをお考えになられていたら…言語道断ですよ?それは妊婦の体調を管理している私が絶対に許しませんからね」

 

ぼくの浅はかな心の内はフリデリーケにお見通しだったようで、あっさりと釘を刺されてしまった。

 

「そうよ。あなたがベストな状態で出産を迎えるために、私もそれからフリデリーケさんもちゃんと計算の上で体調を管理しているのだから。ダイエットはダメよ」

 

カタリーナにも再三釘を刺される。

 

「ぐ…」

 

「ぐ…じゃないわよ。大丈夫よ。…何とかなるって!」

 

「…何とかって…どういう風に?」

 

「え…えーーーっと。な、なんとかよ!…あ、ホラ!もうディアンドルが屋敷に届いたのじゃない?ホラ、行ってらっしゃいな!」

 

最早半分ベソをかいているぼくを、ベッティーナがドアの方へと追い立てる。

 

 

「気をつけてね。…車、出しましょうか?」

 

「…いいよ。近いし、歩いていけるよ。…それに少しでも歩いた方が…カロリー…」

 

「え?なぁに?なんか言った?」

 

「…何でもない。お茶、ごちそう様でした!」

 

「そんな情けない顔しないの!ホラ!笑って笑って!スマ~イル」

 

半べそかいたぼくの頬を、ベッティーナが両手で挟み込むと、ちょっと強引に笑顔の位置まで持ち上げて、ぼくをアーレンスマイヤ家へと送り出してくれた。

 

 

~~~♪~~~

 

「いや~~~~ん!やっぱり!!」

 

さっきベッティーナたちに言われた通り、三人娘がサロンで試着している間に、ぼくはマリア・バルバラ姉様の衣裳部屋で今一度ドレスを試着させてもらった。

友人たちの嫌な予感通り、姉様のウェディングドレスの背中のフックはぼくのウェストのあたりでどうやっても止まらなくなっていた。

 

「…こんなにおデブちゃんになっていたなんて…」

 

思わず頭を抱えてヘタヘタと絨毯にへたり込む。

 

「ユリウス」

 

「…まさかこんな事態が起こるなんて。。せっかく…せっかくアレクセイに花嫁姿を見てもらえると思ったのに…。どうしよう…」

 

あぁ…。

あの…サクランボ農園を訪れた時の自分に…今のこの事態を忠告してやりたい!!

 

「ちょっと!ユリウス!!」

 

そんなぼくの傍らでマリア・バルバラ姉様が何度もぼくを呼んでいたみたいだ。

 

「ユーリカ!落ち着きなさいな」

 

激しく動揺しているぼくをなだめるように母さんがそっとぼくを立たせると、マリア・バルバラ姉様に視線を向けた。

 

「あの…ね。差し出がましいようだけど、あなたの最近の身体の変化を目にしていて…ちょっと…このドレスは無理かもしれないな…と思って。だからね、レナーテさんとそれから仕立て屋さんのマダムと相談しながらね、今のあなたに一番ピッタリなドレスを急ぎで作らせていたのよ。…どうぞ」

 

そのタイミングでノックの後に衣装箱を抱えたマダムが入って来た。

 

 

「どうかしら?」

 

―― わぁ!

 

衣装箱から恭しく取り出されたドレスに思わずため息がもれる。

 

それは、真っ白なシルクサテンの、胸の下で切り替えられたエンパイヤドレスだった。

 

「どうぞお召しになってみてくださいませ」

 

マダムと母さんの手を借りてドレスに袖を通す。

今でも華奢なままの腕の部分は細くデザインされ、妊娠によってふっくらとボリュームが増した胸元はやや大きめに開けられたドレスは、今のぼくの身体をより美しく女性らしくみせていた。身ごろはこれからも体型が変化してもよいようにディアンドルの胴衣を模したレースアップのデザインになっている。

胸の下で切り替わったドレスには同色のシルクシフォンのレースが重ねられ、スカートの裾はトレーンこそ長く引くものの、足さばきが良いようにフロントはやや短めに作られている。

胸の下で結ぶシルクサテンのリボンを姉様が結んでくれた。

 

「あなたは…右側よね」

 

鏡に映った…幸せそうで…自分史上一番綺麗なぼく…。

 

「…綺麗…」

 

ポツリとそう呟いたぼくに、鏡越しに三人が大きく頷いてくれた。

 

「…マリア・バルバラ様に急ぎオーダーを受けましてね。マリア・バルバラ様とそちらのお母様と三人でデザインを練りましたのですよ。妊婦さんを美しく輝かせて見せるデザインを三人であぁでもない、こうでもない…と話し合って。…腕によりをかけて甲斐がありました。本当に、本当にお綺麗でいらっしゃいます」

 

「どう?苦しい所はない?」

 

姉様に訊かれてぼくは目の縁にこみ上げて来た涙を指先でぬぐいながら首を振った。

 

「大丈夫。着心地も…とてもいい。それに…いまのぼくの身体を…こんなにきれいに見せてくれるなんて…何だか…さっきまでの心配が…」

 

クスン…

 

安堵と感激で涙ぐんで小さく鼻を鳴らしたぼくの目元を母さんがハンケチで優しく拭ってくれた。

 

「さあさ、泣かないの。せっかくの美人さんが台無しよ。…お父様にもあとでお礼を仰いな。事情を汲んで「代金はいくらでもはずむから、今のあの子を最高に綺麗に見せるドレスを作ってやってくれ」ってね…」

 

「おかげさまで、旦那様には特別料金と謝礼をはずんで頂きました。…わたくしどもとしても、このドレスづくりの経験が、今後妊婦さんやふくよかな体型の花嫁さんのドレスづくりに役立つものと大いに勉強させてもらいました」

 

「みんな…ありがとう…。嬉しい…」

 

 

驚きはこれだけではなかった!

 

「このドレスは着てみてお分かりの通りワンピースドレスとレースアップの胴衣、それからシフォンレースのオーバースカートと三つのパートで出来ておりまして、お式の後のウェディングパーティーでは、この胴衣とオーバースカートを変えて、目先が変えられるようになっているのでございますよ」

 

と仕立て屋のマダムが説明と共に、ぼくの胴衣とオーバースカートを外して、付け替えのものを着せてくれた。

 

「…可愛い…!」

 

ウェディングパーティー用の付け替えのパーツは、リーザたちの衣装に合せた淡いモーヴピンクの胴衣とシフォンレースのエプロン型のオーバースカートで、白一色の先ほどのお式用の清冽な美しさとは打って変わって可憐で愛らしい印象だ。

 

 

「これならば、髪も少し変えた方がいいかもしれないわね」

 

そう言って母さんがぼくの髪を結い直してくれた。

ぼくの髪を長い二本のお下げに結い、頭の周りにぐるりと巻きつけた素朴な髪型は愛らしいディアンドルによく合っていた。

 

「緑豊かなバイエルンの可憐な花嫁さん…て感じね」

 

「スタイルは素朴ですが、お嬢様の豪奢なブロンドだと、一際髪の美しさが引き立ちますね。それに長くほっそりとしたお首の美しさも…」

 

口々に誉めそやしてくれる称賛の言葉に、少し照れくさくなる。

 

はにかんで髪に手をやって少しうつむいたぼくに、再びノックの後で、リーザの声がした。

 

「ママ…。ドレス見て欲しいんだけど…」

 

遠慮がちにひょっこりと衣裳部屋に顔をのぞかせて来たリーザ以下ブライズメイドの三人娘がドレス姿のぼくに目を瞠る。

 

 

「…どうかな…?」

 

おずおずと伺うぼくに三人が口々に同じ言葉をもらした。

 

「…綺麗!」

 

「ママ、すっごい綺麗!!え~、何?このドレス!すっごく可愛い!!」

 

「リーザたちも。…三人ともとてもよく似合ってるね」

―― ほら、リーザたちのディアンドルとお揃いなんだ。

 

モーヴカラーのシルクシフォンのオーバースカートをそっとつまんでみせる。

 

「ホントだ…」

 

「純白のドレスも素敵ですが、カラーのドレスも華やかですね」

 

「あ、これね…実は胴衣とオーバースカートは付け替えられるようになっていて…」

 

説明しながら三人の前でお式用の純白の胴衣とオーバースカートをつけて見せる。

 

「いいなぁ!あのお母様のお古のドレスも似合ってたけど、このドレス叔母様にとてもよく合ってる。…やっぱりオーダーが正解だと思うわ」

 

したり顔で頷きながら断言するテレーゼに、

 

「まぁ、この子ったら!生意気言って!!」

 

と少しあきれたようにマリア・バルバラ姉様がそんな娘のおでこをちょんと指先で突いた。

 

「あのね…ドレスは見送ったけど、ヴェールは当初の予定通り、姉様の着けたものを借りるんだ」

 

「じゃあ、ドレスがサムシング・ニューで、ヴェールがサムシング・ボロウ ですね」

 

「そういうことだね」

 

「ヴェールは…ボロウと、それからオールドも兼ねているわね。何てったって、もう15年以上も前のものですものね」

 

感慨深そうに姉様がヴェールを手に取った。

 

「あの時も…姉様のお式の時も思ったけど、このヴェール…本当に綺麗」

 

ぼくもヴェールの縁の繊細なレースワークにそっと指を滑らせる。

 

「…ドレスは…新しいのを作りたいけど…私が結婚するときは…ヴェールは借りてもいいかな…」

 

そんなぼくたちを横目で見ながら、テレーゼがそう呟いたので思わず笑ってしまった。

 

「あらそう。…こんなお古を使ってくれるなんて…感激ですわ。是非に、その折には謹んでお貸し申し上げますわよ」

 

おどけてそう言いながら、マリア・バルバラ姉様がヴェールをそっと愛娘の艶やかな黒い頭に被せてみせた。

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