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​第九十九話

Scene.3

 

「でさ、式の時に?グルームズマン?というのか?なんでも新郎の世話役みたいなのが必要らしいんだよ。まぁ、新婦に付き添ってるブライズメイドに頭数合わせて新郎の傍にいてくれるだけでいいみたいで、大したことはしなくていいらしいからさ。悪いけど…」

 

「ああ、いいぜ。お安い御用だ」

―― ヨッと!

 

俺と組み合っていたハンスが請け合うと、俺の奥襟をグッと掴み畳に投げつけた。

 

東洋通、殊にニッポン好きのアルフレートのおっさんは、最近私財を投じて東洋思想とジュードーという、組み合って投げをかけ関節を決める武術の私塾を開いた。

外務省の知己を通じてドイツに駐留している武官の夫妻を師として招き、「ロンゴ」や仏教哲学、そして日本通として知られる学者ハウスフォーファーを招いての「地政学」の講義。そしてわざわざ日本から輸入したタタミという敷物の上でドウギにオビを絞めて行う格闘技「ジュードー」。

(私塾の中にはおっさん念願の「茶室」も作られた。そこで師の奥方による「茶の湯」のお点前も披露され、ユリウスもこの夫人について茶の湯を学んでいる)

 

私塾にも道場にもおっさんを慕うレーゲンスブルクの人間が集い、講義に耳を傾け、道場で組み合い汗を流している。

例に漏れずこの俺も、それからハンスも、そしてハンスとユリウスの幼馴染でやはりユリウスにヘッドハントされて現在は件のアセットマネジメントの会社のマネージャーとして腕を振るっているヨシアスという男も空いた時間に道場で汗を流していたのだった。

(ガタイのいいハンスはともかく、このヨシアスは痩身でインテリ風の見た目に反して、存外腕が立つ。見かけに油断して腕力や体格でガンガン押してくる俺やハンスが、組んだ瞬間赤子の手をひねるように投げを打たれてタタミに倒されたりすることも多々あったりする)

 

道場の稽古の帰りに汗を流しに寄った公衆浴場で、ヨシアスにも世話役の件を持ちかける。

 

「いいよ」

ヨシアスも二つ返事で式の世話役を引き受けてくれた。

 

「ダーンケ。助かったよ。出来れば既婚者じゃない方がいいみたいなんでさ」

 

「そうか…。それもそうだね。もう僕らの年代だと…大抵は結婚して家庭を持っているものね」

 

「ま…な。俺の学校時代の友人は皆もう妻帯者なんだよ。ダーヴィトにしてもモーリッツにしても…。イザークも…なぁ」

 

「なあ、俺なんかでいいのか?お前さんの友人たちと違って…下町育ちの、まぁインテリのヨシアスはともかく俺みたいなガサツな人間が世話人でも構わないのか?」

 

ハンスは柄に合わない役目に少し気後れをしているようだ。

心配そうな顔を向けたハンスに、ヨシアスが言う。

 

「心配ないさ。僕らはただ正装してクラウスの横に澄ましてくっ付いていればいいんだ。…だろ?クラウス」

 

「ああ。あくまで頭数が揃ってればいいんだと思うぜ」

 

「ん。分かった。お前さんと…それからユリウスのためだ。一肌脱ぐぜ」

 

「ダーンケ。ありがとうな」

 

「ところで、クラウスはバイエルンの出身なの?ゼバス時代は寄宿舎に入っていたんだろ?身内は?今どうしてるの?」

 

当然だが俺の本当の正体を知らないヨシアスが俺の身の上について訊ねて来た。

 

「えと…。生まれは…バイエルン…うん、バイロイトなんだけど。実は親の仕事の都合でずっと外国で育って…。ウン、ロシアでな。14になるまでほとんどロシアにいたんだ。親は俺の幼い頃に亡くなっていて、俺はサンクトペテルブルクに嫁いでいた遠縁のばあさんに14まで育てられていたんだ。で、14になった時にこっちに戻って来て…ゼバスの寄宿舎に入ったってわけ…さ」

 

(所々事実を織り交ぜながら)即席の身の上をでっちあげる。

 

「ふぅん。大変だったね。じゃあもう…身寄りは?」

 

「ああ。その育てのばあさんが…、ロシア革命を何とか逃れて今南仏のグラースで暮らしているんだ。…もうずいぶん高齢だけど、年の割にはお元気だし、…出来れば参列してもらいたいと思っている。…たった一人の身内だし」

 

「そうか。…僕は天涯孤独の身だから、一人でも身内がまだいる君が羨ましいよ。お祖母様、君の晴れ姿を見に来られるといいね。お会いしたら是非挨拶したいよ。…ドイツ語は分かるのかな?」

 

「え?あ、あ~~。もう外国に嫁いで長いから…ドイツ語は…ほとんど忘れてしまったって言ってたっけなぁ。あ、でもフランス語なら通じるぜ」

 

「そうか。良かった」

 

「でもさ、お前も天涯孤独とは言っているけど…。近々考えてるんだろう?…アニエスと」

 

ハンスの言葉に、何も知らなかった俺は思わずヨシアスを見る。

 

少し照れ臭そうに、鼻の頭をポリと掻きながらきまり悪そうにヨシアスが俺から視線を逸らせた。

 

「何だ。そうだったのか。…知らなかったよ」

 

「まあ…。ウン。でもな…お世話になったサンデュ家のお嬢様だから…。うん、一筋縄じゃいかないよ」

 

小さくため息をついたヨシアスの気持ちは少しわからなくもない。

 

レーゲンスブルク一の名家のお嬢様で実業家のユリウスと、根無し草の風来坊の俺。

他人から見れば所謂「格差婚」で「逆玉」の俺と、いわば似た状況のヨシアスだ。

今でこそお嬢様と使用人ではなく、上司と部下の関係かもしれないけれど、でもなぁ。

 

少し表情を曇らせたヨシアスの肩をポンと叩く。

 

「俺とユリウス見てみろよ。…当人が幸せなら、それでいいと俺は思うぜ。しかも今はあくまでお前さんが上司で、アニエスが部下の関係だ。…何も、問題はないさ」

 

「…そうか」

 

「だよな。…ていうか、アニエスの親父さんにしたって…娘の結婚にどうこう文句言える立場じゃねぇっての」

ガハハ!

そう言い切ってハンスが磊落に笑う。

 

…確かに。前妻(つまりユリウス)とのすったもんだを考えれば…な。

 

「脛に傷持つ…だな。ハハ。よし、結婚話が難航したら、ユリウスに助太刀させるよ」

 

「え?ええ~~~?…アハハ、でもそれは…力強い助っ人だなぁ」

 

「力強いどころか…最強の切り札じゃねぇか。それ、最早「ナイン」と言える余地ねぇよ!」

 

「うん。そうだな…。僕も…そろそろ、ちゃんとしなきゃ…な」

 

まるで自分に言い聞かせるように蒸し風呂の湯気の中でヨシアスが呟いた。

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