第九十九話 Ⅱ
アレクセイは通常の楽器店の仕事と合わせて実行委員として間もなく開催が迫る音楽祭の準備、それに加えて無理が出来ないぼくに代わって全面的に式の打ち合わせでレーゲンスブルクと会場の村を往復する日々が続いている。
(済まながるぼくにアレクセイは「音楽祭の会場と挙式の会場が同じで助かったぜ」と言ってくれているけど…)
当初懸念されていたイザークの指揮者復帰交渉の件は、流石に手が回らずこれはヴィルクリヒ先生に一任したようだ。
で、肝心のイザークはと言うと…やはり最初は長年のブランクを理由に出演に後ろ向きだったみたいだけど、何度もミュンヘンまで足を運び説得した先生の粘りと、そして何より今回出演するオケのメンバー一人一人による心のこもった手紙が彼の背中を後押ししたようだ。
(リーザも熱心にイザークに向けた手紙をしたためていたっけ)
遂にイザークも首を縦に振ってくれて、こちらも本番に向けて益々練習に熱が入っているようだ。
ぼくはと言えば―
通常の会社の業務とそれからスペイン交響曲の練習、そしてその本番の後の挙式の準備…とやはり目の回るような慌ただしさだ。
お腹の子供も順調に育っているようで、身体は日一日と変化してゆく。
幸いぼくには頼りになる女性陣―、母さんとリーザを初め、マリア・バルバラ姉様、姪のテレーゼ、そしてゲルトルートにフリデリーケ、カタリーナやベッティーナといった家族友人らに見守られ労わられながら、慌ただしいながらも充実した日々を過ごすことが出来ている。
Scene.2
先日、ブライズメイドを務めてくれる三人娘(リーザとアニエス、それからあまりリーザを羨ましがるテレーゼの…というより愛娘に懇願された姉様とダーヴィトに拝み倒され、急きょテレーゼもブライズメイドに名を連ねてもらう事になったのだ)の衣装をオーダーした。
ブライズメイドの衣装はバイエルンの伝統的な衣装、ディアンドルスタイルにすることにした。素朴な農園にあの衣装はとてもよく合うだろう。
そしてはじけるような若さのこの三人娘にも。。。
アーレンスマイヤ屋敷に仕立て屋を呼び、ブライズメイドの三人娘と花嫁(つまりぼく)、そしてマリア・バルバラ姉様と母さんの6人で早速生地選びと仮縫いに取り掛かった。
「ブラウスは若い娘さんらしくパフスリーブがよろしゅうございますわ」
「そうね。若い娘の特権だわね。この袖は」
「お色はどういたしましょう」
「明るい色の方がいいんじゃないかしら」
そう言って姉様が淡いピンクや若草色、ライラック色、それに空色の生地見本を手に取ってみる。
「そうだね。…春の花のような淡い色が、ステキだね。あなた達は希望はある?」
ぼくもそのうちのいくつかを手に取り、実際に袖を通す三人娘に意見を求める。
「え~?…全面的にママの希望に従うようにするよ。だってリーザたちのお式じゃなくて、ママのお式だもの」
―― ね?
三人娘が頷き合う。
「どうしよう…。ねえ、どうしたらいいと思う?母さん。マダム」
…困った時の母さん頼みで、母さんとお洋服のプロである仕立て屋のマダムに助け舟を求める。
「そうね…。じゃあ…先ほどマリア・バルバラさんが選んだ色味の中からこの三人に似合う色を選んでみたらどうかしら?」
「それがよろしいかと思います。どれも初々しいブライズメイドたちに相応しいお色ですから。一番三人に似合うお色をお選び致しましょう」
早速三人に布地を当ててみる。
春の一番花のローズ色、爽やかなレモンのイエロー、若葉のグリーン、そして春の青空のようなブルー…、何色か実際に当ててみて、結局リーザのブロンドと青い瞳、アニエスの栗色の髪とハシバミの瞳、そしてテレーゼの漆黒の髪と瞳の色に一番良くあった、ライラックの淡いモーヴ色に決まった。
「淡い色だけど、ちょっとシックで素敵だね」
「…こんな色、私初めて身につけます」
「何だかちょっと大人になった気分」
三人が口々にドレスの色目の感想を述べる。
「この屋敷に来た頃の、あなたもよくこの色のドレスを着ていたわね。あれは…今のリーザやテレーゼぐらいの齢だったかしら?」
「うーん。もうちょっとだけお姉さん…だったかな。アレクセイと出会った後だったと思うから…」
あの頃のぼくは…アレクセイと仲良くなっていって、だんだん花の色のドレスも違和感なく袖を通せるようになったのだった。
花の色のドレス姿のぼくに向けるアレクセイの視線が…ちょっとくすぐったくて。。。
「おばさまの少女時代の思い出って、全てが「アレクセイ以前」「アレクセイ以後」…アレクセイ基準なんだね」
テレーゼの言葉に、
「え~。…そうかなぁ」
と一応そう返してみるものの…思い返すとやはりレーゲンスブルクに来てからは、ぼくの少女時代の思い出の全てが「アレクセイ」を通したものであることを今更ながら思い知り、何だかちょっとおかしくなる。
「…ふふ。でも、そうだね。…うん。テレーゼの言う通りかも。少女時代のぼくにとって…アレクセイが全てだったのかもね」
「社長…私と初めて会った時も…大切な人に出会ったと、アレクセイとの思い出を話してくれましたものね」
「うふふ…。そうだったね」
「お嬢様方、お喋りも宜しゅうございますが、お身体はこちらへ向けて…採寸をさせてくださいましな」
ついつい話に夢中になってしまう三人娘たちにマダムが注意して身体にメジャーを当てて行く。
「あ、ごめんなさ~い」
「お嬢様…あ、ユリア様の方でございますが、今回はドレスはいかがされるのでしょうか?」
娘たちの採寸をしながら、ウェディングドレスのオーダーを出していないぼくに、マダムが話題を向けて来た。
「今回はね、ぼくは姉様が着用したドレスを貸していただくことにしているの」
「あら、そうなんですか。それはこちらとしては少し残念ですが…。サムシングボロウ…でしたっけ?それはそれで縁起がよろしゅうございますね」
「そうなのよ。この娘ったら…。ドレスぐらい作ればいいのに、「姉様のドレスを貸してほしい」って」
「サイズもピッタリだったし。細身でシンプルだけど着るととても素敵なんだ」
「ええ、ええ。そうでございますとも。あれも…わたくし共が手掛けて、マリア・バルバラ様のために腕によりをかけて拵えた花嫁衣裳でございましたもの」
「そうだったね。…年月を経ても褪せない良さがあるから、是非あのドレスで式に臨みたいと思って」
「うれしゅうございますねえ。マリア・バルバラ様も。可愛がってらっしゃる妹御さまにそう言ってもらえると」
「ええ。「ドレスを貸してほしい」と言われて。私はてっきりもう…テレーゼの時まで出番はないと思っていたものだから…。急いで衣裳部屋の奥から出させて風を通したのよ」
「それはそれは。…でもテレーゼ様のご婚礼の時は…また是非にわたくし共に腕を振るわせて頂とうございますわ」
「私も新しいドレスを作りたい」
「はいはい…」
ウフフ…。
―― コンコン・・・・。
「失礼します。お茶の支度が整いましたので。マダムもどうぞサロンへ」
ゲルトルートがお茶の時間を告げに来た。
「お決まりになりましたでしょうか?」
ヒョイとゲルトルートが生地見本に首を伸ばす。
「ええ。このライラック色に決まったの」
「あらまぁ!ステキなお色ですねえ。お嬢様方にもよくお似合いになるでしょうね」
「ゲルトルートも、そろそろ…じゃない?衣装とかは?どうするの?」
ぼくに水を向けられ、ゲルトルートが僅かに頬を染める。
「…わたくしのことは、今はよろしゅうございますよ」
「ハンスもアレクセイの…新郎の世話役引き受けてくれて、ありがとうね」
「ああ…。「俺なんかでいいのかな」って…しきりにそう言っていましたけど。満更でもない感じでしたよ。あ、新郎さん…クラウスさんからわざわざ衣装までお借りすることになってしまって…すみません」
「いいのいいの。…アレクセイの礼服は…父様が何かかんや考えているみたいだから」
「あ、そのことで旦那様がマダムにあとで相談に乗ってもらいたいと…仰っておりましたので」
「はい。それではお嬢様方の採寸が済みましたら、お伺いいたします」
「さ、お父様がきっとサロンで首を長くしてお待ちだわ。行きましょうか」
「ええ」
ぼくたちはお茶の支度が整ったサロンへと向かって行った。