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​第九十八話

アレクセイについて、今回の音楽祭の会場となる農園を久しぶりに訪れた。

 

 

「まぁあ、お嬢さん!」

 

しばらくご無沙汰だったぼくをおじさんとおばさんは昔と変わらない溢れるような笑顔で迎えてくれた。

 

「よく来てくれたね。嬉しいよ」

 

おじさんはちょっと見ない間に長年の農園の仕事の重労働で少し腰が曲がって、そのためか昔より少し小さくなったように見えたが、顔色もよく元気そうだ。

 

おばさんは…本当に変わらない

(少し皺と白髪が増えたぐらいか)

 

再会のキスと抱擁を交わし、昔と変わらないダイニングへ通された。

 

 

「クラウスと再婚したのだったわよね。おめでとう。」

 

「嬉しいねえ。やっと二人に祝福の言葉を贈ることが出来たよ」

 

おばさんの心尽くしの昼食を振る舞われながら二人から祝福の言葉を受ける。

 

「ずっとご報告に伺いたいと思っていたのだけれど、こんなに遅くなってしまって。長の無沙汰をお許しください」

 

「そうよう!もう、おばさんずっと待ってたんだから!今度の音楽祭?の準備で度々ここを訪ねて来てくれるクラウスからは報告は受けてたんだけどね。やっぱり直にお嬢さんの幸せそうな顔を見て報告を聞きたいじゃない?」

 

「…ごめんなさい」

 

「いいんだよ。謝ることないさ。…お嬢様も会社のこととかそれは忙しい日々だったのだろう。全く敗戦からこっち、この不景気と来たら…」

 

最後はため息間知りにそう言ったおじさんの言葉に、一瞬テーブルか重々しい雰囲気に包まれる。

 

「やめましょ!せっかくお嬢さんが顔を見せてくれたのに、こんな話。さ、お腹すいたでしょう?食べて食べて」

 

おばさんのことさらに明るい声が重苦しくなった空気を吹き飛ばした。

 

 

 

「美味しい!…最近ぼく何だか食欲が凄くって」

 

テーブルに並ぶごちそうに舌鼓を打つぼくに、アレクセイも

「こいつ、どうやら食いづわりって言うんですか?そういうやつらしくって。最近食欲凄いんですよ」

―― な?

と言い添え、僕に視線をむける。

そんなアレクセイにぼくもウンウンと相槌を打つ。

 

「だから最近太ってきちゃって…」

 

そう白状したぼくに、おじさんとおばさんは一瞬二人顔を見合わせたあと、大きく相好を崩した。

 

「おめでとう!なんて素敵なこと!出産の予定は?」

 

「夏の終わりです」

 

「全然太ってなんてないさ。なぁ?」

おじさんがそう言って、おばさんとアレクセイに同意を求めた。

 

「ええ。お嬢さん元々が細いのですもの。全然どうってことないわよ」

 

「身体が要求しているときはそれに従えばいいさ。カタリーナさんもフリデリーケも何も注意することないっていってるんだろ?」

 

「まぁ…うん。適正体重の範囲ですって」

 

「まぁ、フリデリーケも元気なの?いま確か…」

 

「はい。ウィーンで産科を修めて今はレーゲンスブルクで助産院をやっています」

 

「押しも押されぬ職業婦人ですよ。おまけに甥っ子の親代わりになって育てていて。大したものです。彼女は」

 

「そうなの…。立派になったのねえ。お手紙はね、折に触れて貰うのだけとね、会いたいわ…彼女にも」

 

まるで実の娘を想うように、おばさんが目を細めながらそう言った。

 

 

             -----◇-----

 

食事の後、ユリウスと農園主夫妻の四人で農園内を歩いた。

 

 

「うちもだいぶ農園は規模縮小してしまったからね。昔より随分木も少なくなったろう?」

 

確かに。

以前来たときは…まあ、随分と昔の話にはなるが、もっと農園が広がっていたような記憶がある。

 

「お二人には…この村の都市開発では、随分と協力してくださって。本当に感謝しています」

 

「いいのよ。…こちらこそ、いい条件で農地を買ってもらえたし。…私達には農園の後を継いでくれる子供もいないから…。農園はもう私たちの代でおしまいと考えていたし」

 

――ね?

――ああ。

 

少し寂し気な笑顔で農園主夫妻が頷き合った。

 

 

             -----◇----

 

「あ…!」

 

まるで奇跡のように、…ぼくたちを待っていたかのように、あの頃のままの景観を残した、あの場所が、ぼくらの眼前に現れた。

あの時の、二人だけで永遠の愛を誓い合った―

あの一面のクローバー畑と、そしてサクランボの木。

 

まるで時間が遡ったかのようなその光景に、ぼくは言葉もなく立ち尽くした。

 

「驚いたろ?」

――…俺もさ、ここを18年振りに訪ねて、この木を…あのときのままそっくり残されていたこの場所を見つけたときは…言葉がなかったよ。

 

立ち尽くしたぼくの傍らにやって来たアレクセイがぼくを見下ろしてそう言った。

 

「この木だよ。アレクセイ…。あなたも覚えているでしょう?」

こみ上げてくる感情に、思わず声が震える。

 

「ああ。忘れるものか」

 

サクランボの木に、そっと手を伸ばす。

 

この農園を初めて訪問したあの日、二人で永遠の愛を誓ったサクランボの木は20年近くの月日を経て尚そこに在り続け、再びぼくたちを迎えてくれた。

 

「ここらの区画も最初は売却する予定だったのだけど、ホラ、そこの足元のクローバー」

おじさんがぼくたちの足元のクローバーの緑のじゅうたんを指さした。

 

「このクローバーからはクセのない美味しい蜂蜜が採れるんだ。うちは蜜蜂もやってるからね。だから、この辺は俺たちが農園やっているうちはこのまま売却せずに残しておくことにしたんだよ」

 

 

「あのね…ぼくたち、ね」

おじさんとおばさんにあの遠い日の思い出を語る。

 

「ぼくたちね、18年前にここを訪れたあの日に、二人でこの木に永遠の愛を誓ったんだ。あなたへの愛は終生変わりませんと」

 

「そして…足元に咲き乱れるシロツメグサの花輪と、シロツメグサの指輪を交換したんです」

―― な?

 

アレクセイの腕に腕を絡めながら、ぼくはコクリと頷いた。

 

「20年近くを経て、またこの場所にこうしている…感慨無量だな」

 

「そうだね…。あのときには、こんな未来が待っているなんて想像も出来なかった」

 

しみじみとサクランボの木を見上げる。

 

そんなぼくたちにローラさんは、言ったんだ。

 

「一つ提案があるのだけど」

―― ねぇ、あなた達。ここで結婚式を挙げたらどうかしら?

 

             -----◇----

 

 

「あなた達、ここで結婚式を挙げたらどうかしら?」

 

思いもよらなかったおばさんのその提案に、ぼくは、ううん、ぼくとアレクセイはお互い顔を見合せ、それからおじさんとおばさんを見つめた。

 

驚いたようなぼくらの表情に、提案したおばさんも、それからおじさんも、背中を押すように大きく頷いてくれた。

 

「でもあの…とても嬉しいのだけど…ぼく…」

結局この歳まで洗礼を受けていないぼくと、

 

「俺たちその…色々宗教的な事情があってその…」

__神父さんの前で結婚の誓いとか、その…。主義信条から、俺は…。

 

そう言い淀んだぼくとアレクセイにおばさんは、事も無げに言ったんだ!

 

「あら、別にいいじゃない。神父様が…教会の仕切りの下で挙げずとも、何ならば昔のようにこの木に誓ったらどうかしら?今度はみんなの前でね」

 

―― あぁ!!

 

そろそろと伺うように傍らのアレクセイを見上げる。

 

アレクセイがそんなぼくに向かって微笑んで大きく頷いてくれた。

 

「ありがとうございます。この場所は、少年少女の日の俺たちが幼いなりに真剣に愛を誓い合った、いわば神聖な場所です。そんな場所で…まさか結婚の誓いを交わせるなんて、望外の喜びです。是非…その提案に甘えさせて頂いても宜しいでしょうか?」

――あ、でも勿論妊娠中のユリウスの体調第一というのが大前提なんですが!

アレクセイが腕をからめたぼくの腹部に視線をおとす。

 

「ええ。勿論よ。喜んで。この場所を、この神聖な、そして美しく心地のよいこの場所をあなた達の永遠の誓いの場に提供致しますわ。お嬢さんは体調は…どうかしら?」

 

 

「はい。…出来ればもう少し先ならば、安定期に入るので。…あの、おじさん、おばさん」

 

「なんだい?」

 

「ありがとう…。本当に、ありがとうこざいます。実は…ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、クラウスのために花嫁衣装を身につけて、彼に見てもらいって気持ちも…なくはなかったんです」

 

「なんだよ?そうだったのか?…ならばそう言ってくれれば…」

 

そう言いかけたアレクセイの唇にそっと指を当てて首を横にふる。

 

「…ほんのちょっとだけだよ。少女の頃からの、あなたに恋をした時からの、積年の夢を、あなたと一生を共にするという願いをようやく叶えて今の幸せがあるのだからぼくはこれ以上の多くは決して望むつもりはないんだ。これは偽らざる本当の気持ち。でもね…」

 

「分かるわ。それが女心というものよ…ね?」

 

ぼくの言いたかったことをおばさんが代弁してくれた。

 

おばさんのその言葉に大きくぼくは頷いた。

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