第九十六話 Ⅵ
自動車のブレーキ音は、やはりこの屋敷のもう一人の住人、アデール夫人とその家族の帰邸を知らせるものだった。
ソワがますます大きく尻尾を振り、リーザの身体から身を乗り出す。
「ソワ、ただいま。良い子にしていた?」
身を乗り出した愛犬をリーザから受け取る。
「初めまして。レオニードの家内の、アデールと言います。本当にお母様とそっくりの…綺麗なお嬢さんだわ」
犬を受け取り自己紹介したアデール夫人に、リーザも返す。
「初めまして。ユリウスの娘のエリーザベトと申します。リーザと呼んでください」
「アデール、この荷物は…」
「ええ、昨年と同じ所でいいわ」
半ば呆れたような懐かしい声に、リーザの瞳が輝く。
「レオニードおじ様!!」
「久しいな。リーザ。しばらく見ぬうちに、随分と大人びたな」
「もう、年が明けて…夏が来たら14よ!ロストフスキーさんもお久しぶり」
「ご無沙汰しておりました。リーザ様。お綺麗になられましたね」
「ありがとう。ウフフ…」
そこへ後からゆっくりとアレクセイとユリウスもやって来た。
「アデールさん、レオニード!」
「御機嫌よう。今年は早めに戻ってきてしまったわ。…きっと逢いたい人が、いいえ、人たちがいるような予感がしたから今年は齢の明ける前に戻って来たのよ。嬉しい予感が当たった。会いたかったわ」
再会を喜び皆と挨拶を交わし合う。
「それ、手伝うよ。どこへ運べばいい?」
アレクセイが車から下ろされた木箱の一つを持ち上げた。
「ああ、すまぬ。こちらだ」
男たちー、レオニードとアレクセイ、ロストフスキーとそれからJr.がめいめい木箱を持ち上げるとレオニードに案内され、母屋へと向かう。
母屋へ木箱を運んでいた時に、レオニード・ユスーポフ侯爵に面立ちのよく似た少年の濃いブルーグレーの瞳と、リーザの碧の瞳が一瞬だけ交錯した。
「また、今度は年明けを一緒に迎えましょう。夕刻、母屋へ来てちょうだい」
「お招きありがとう。喜んで。今年はお祖母様と、それからこちらへ逗留しているぼくの家族ー、娘と母も一緒に招かれてもいいかな?」
「勿論よ、待っているわ」
ソワを腕に抱き、侍女を引き連れ、アデール夫人は上機嫌で自邸へと戻って行った。
「さあ、ぼくらも戻ろうか。…少し冷えて来たね」
ユリウスがそう言ってリーザの肩を抱き寄せる。
「え?大丈夫?ママ」
「大丈夫だよ。みんな…リーザもアレクセイも…心配性だなぁ」
「だって〜。もうママ若くないんだから」
「失礼なことを言うね。この子は」
ユリウスの細い指先が、白磁のような娘の額を軽くつつく。
「本当のことでしょう?自分を過信しないで、今はリーザやおばあちゃまや…それからアレクセイに甘えて大事にされていて?」
「はいはい…。じゃ、お言葉に甘えてそうさせていただきます。じゃあ…まずは手始めに朝起きる時はもう〜ちょっとだけママの手を煩わせないで欲しいものですね?眠り姫さん?」
「あちゃ〜、やぶ蛇だったか。…ハイ、努力します」
ーーウフフ…。
二人して逗留している離れへ戻る。
戻った二人をヴァシリーサ夫人とレナーテが迎えてくれた。
「お帰り、ユーリカ、リーザ。あら?アレクセイとソワは?」
「ソワは大好きなママが戻って来たからその場でお返ししました。アレクセイは…今荷物運び中」
「ということは…アデール夫人が戻って来たのかぇ?」
「ええ。昨年以上の数の木箱を携えて。レオニードたちを引き連れて、ね。母屋へお招き頂きましたので、後で皆で伺いましょう」
「まぁま。今年は賑やかな年越しと…年明けになりそうですこと」
「おーう」
「アレクセイ!」
そこへ、荷物の木箱を運び入れ終えたアレクセイが戻って来た。
「とんでもない量のウォッカとシャンパンだったぞ!…奴さんら一体、どんだけ飲むつもりなんだよ」
肩を回しながらそう言うアレクセイに
「ご苦労様。…きっとレオニードも、あなたとウォッカを酌み交わすのを楽しみにしていたのだと思うな」
その背中をさすって労をねぎいながらユリウス答える。
「ふん…そういうものかね」
「そうだよ」
「ねぇ、ママ」
「ん?なぁに?リーザ」
「…なんでもない」
「?変なリーザ。支度しておいで」
「うん…」
自室に向かう途中、リーザは一瞬だけ視線を交わしたあの少年の姿を思い浮かべる。
ーー3つ下ときいたけど…随分背の高い子だったな。…レオニードのおじ様にそっくり。
自分とさして背丈の変わらない少年の姿を一瞬思い浮かべた後、「でも関係ないし…」と口に出してそう言うと、クロゼットから少しよそ行きのドレスを取り出した。