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第九十三話

「こないだのカーニバルの時といい、ホンットアッツアツだよね」

 

「はん。妬いてろ妬いてろ。羨ましかろう」

 

放課後の楽器屋はほぼゼバスの学生どもで埋め尽くされている。

勿論入り用のものを買いに来るという本来の目的もあるが、半分ぐらいはダベリに来ている状態だ。

(後輩たちに「クラウスさん」「ゾンマーシュミットさん」と慕われ懐かれるのは悪くない気分だ)

 

現在ゼバスの管楽器科に在籍中のキッペンベルク家の長男、ヴォルフガングもそんな「たむろ組」の常連だった。

 

(ゼバスは俺が退学して帰国した少し後に新たに管打楽器科、声楽科、そして専科指揮コースと調律コースが新設されたらしい)

 

オーボエ奏者の、この父親に面立ちのよく似た少年は、商談客のいない時はここの商談テーブルでリード作りに勤しんでいるのだった。

 

慣れた手つきで器用にリードを削っては調整して行く。

 

「いつも思うけど、うまいもんだな」

 

「ま、ね。僕はこういう手先を使う作業が苦にならないんだ。僕は元々ピアノをやっていたんだけど…どちらかというと独奏よりもアンサンブル、オーケストラ…皆でワイワイハーモニーを作り上げてく方が好きなんだ。あとはこういう作業が割に好きだから…このままピアノを続けて専科へ進んで調律の道に進むか、それとも本格的に管楽器に転向するか考えた結果…オーボエに専念することにして、転科したんだ」

 

「へえ。決め手は…何だったのか?」

 

「皆に…オケの皆に言われたんだ。「君が必要だ」って。「迷ってるならオーボエ奏者としてオケを支えてくれ」って。あれは刺さったな〜。その説得が決め手になって、僕は転科を決めた。オーケストラは、最高だ。あの大人数で、様々な音色が一つになって音楽を作りあげる。素晴らしくエキサイティングだ!」

父親譲りのヘーゼルの瞳が輝いた。

 

「…だな。あれは、最高だな」

俺もかつてオケのコンマスを張っていたから、よく分かる。

 

「でしょ?分かってくれて嬉しいなぁ。なーんか親父に言ってもイマイチピンと来てないみたいだし…母さんに至っては「あなたは昔から寂しがり屋さんだったものね。ホホ…」とか言っちゃって。なーんか違うんだよなぁ」

ーー寂しいから皆でいるわけじゃないんだけどな…。

 

リードを削る手を止め、少し不満そうに口を尖らせる。

 

「あはは。たしかに、お前さんの音楽の方向性は…あの頃のモーリッツとは、明らかに異なってるかもな。…ところでお前さんは、何でオーボエを選んだんだ?管でも他に楽器はあるだろう?フルートでもクラリネットでも…金管楽器でも」

 

「ひとことで言えば、僕は条件に恵まれてたからさ。…オーボエという楽器は、金がかかるんだ。でしょ?」

 

確かに…オーボエの命とも言えるリードの資材の調達、そして楽器自体も管楽器の中では高額だ。

 

「僕の家は資産家だし、家が手広く貿易をやっているから中々手に入りにくいフランス製のリードもコネを使って入手出来る。…でもクラウスさんがこの楽器店に来てくれて助かったよ〜。以前は親父に頼みこんでキッペンベルク商会にコンタクトを取ってもらってフランスの業者からリードを個人輸入してたんだ。親父「口利きはしてやるが、自分のことは自分でやれ」って。後は自力でさ〜。僕フランス語苦手だからもう悪戦苦闘で。おまけに戦争があったろう?それで益々輸入が困難になってきてて。この楽器店がリードなんかも取り扱うようになってくれてほんと助かったよ」

 

「そりゃどうも。顧客のニーズに応えるのは販売業の基本だからな」

 

「とは言っても、前の店主はなあ〜。顧客のニーズまるっきり無視だったもんなあ」

そう言ってヴォルフガングはウインドウから外を見ながら呑気に鼻毛なんて抜いてるおっさんの方をチラと見た。

 

「ハハ…。まあまあ。あのおっさんも音楽は門外漢の上に、近年新設された管楽器のことなんてまるでわからないからさ。きっとオーボエの吹き口が葦で出来てることもわかってないだろうなぁ。…おい、おっさん!抜いた鼻毛をその辺に落とすな!たく」

 

俺につっこまれたおっさんは、肩をすくめて見せるといそいそとバックヤードに引っ込んで行った。

俺はすかさずおっさんのいたあたりの棚を羽毛のダスターで払う。

 

「クラウスさんて意外と几帳面だよね〜」

 

「おい、意外と は余計だ!意外と は。別に几帳面て訳でもないけどさ、だって嫌だろ?手に取った商品に得体の知らない毛がついてたら」

 

「それは…ゾッとしないね」

 

ビー!

 

調整の済んだリードを最後に赤いシルク糸で器用に縛り、試し吹きをすると満足そうに仕上がったリードをケースに収める。

 

「それよりさ…。クラウスさん、今リーザと一緒に暮らしてるんでしょ?…息つまらない?」

 

「息…って?」

 

「だってあいつ気ぃ強いし、口うるさいでしよ?大丈夫なの?」

 

神妙なヴォルフガングの顔から、どうやら本気で心配されてるようだ。

 

「何だよ!…全然そんなことないよ。お陰様で家族の皆とは上手くやって行けてます。リーザとも、レナーテさんとも。心配してくれてありがとな」

 

心配そうな眼差しを俺に向けているこの坊主の栗色の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 

「そう、ならいいんだけど。あいつレーゲンスブルクに来たばっかの頃はいっつもテレーゼやユリアさんの後ろに隠れてて、ちょーっとからかったりするとすぐベソかいてたのにさ。いつの間にやらあんなに勝気なしっかり者になって。俺のことなんか今やかんっぜんに下に見てんの。ヤンなっちゃうよなぁ」

ーーまぁ、確かに家のこととかなんでも出来て本当にしっかりしてて頭も良くて…僕なんかてんで子供に見えるんだろうけどさ。

 

少しふて腐れたようにブツブツ言いながら、テーブルに広げた道具類を片付けながら続ける。

 

「ねぇ、クラウスさんってさ、いわばうちの母さんと立場が近いよね。他家に後から加わって、そこにはお姑さんや配偶者の家族がいて…。うちの母さんはさ、まぁ性格も勝気だし、やられっぱなしってタマじゃないけど、でも時々言ってるよ。「この家は息がつまる!所詮私はよそ者でいつまでたっても新参者扱い!」って。僕にしたら「よく言うよ…」て感じだけどさ。ねえ、後学のために聞かせてよ。新しい家族とやっていくって、ぶっちゃけどうなの?ちゃんと居場所はあるの?」

 

「何言ってんだか。お前さん押しも押されぬ天下のキッペンベルク家の跡取りなんだから…俺の話なんてまるで後学のためになんかならんだろう?」

 

「そんなことないさ。今は羽振りがいいけど…ウチだっていつまでもそうとは限らないもの。事実…あの戦争が終わって、何百年もの栄華を誇ったハプスブルク家も、それからロシアのロマノフ家だってなくなっちゃったじゃないか。いわんや…」

 

「キッペンベルクをや…か?」

 

話が通じたとでも言うように、ヴォルフガングが満足げに大きく頷いた。

 

「ハハ…。お前さんの父上も…モーリッツも随分と見くびられたものだな。大丈夫だよ。奴は…優秀な経営者だ。あの二つの…王家のようにはおそらくなるまいよ。でも、そんなに気になるんなら、話してやるよ」

 

ーー確かに俺はあの家の新参者だがな…。

 

ヴォルフガングの向かいの椅子にかけると俺は新生活の日々の話を始めた。

 

「日常生活の中でも男手ってのは、割に必要…というか、あればあったで断然便利な局面がちょこちょこあるんだよ。お前さんの家のように使用人を置いていないあの家なら…尚更だな。例えば保存瓶の蓋を開けるとか、電球を取り替えるとか、ちょっとした家具の移動とか、庭の木の枝を払うとか、あとはこれから雪が積もったら雪かきだな。高所の作業、力のいる仕事ってのは、家族の中では男の受け持ちなんだ。だけど俺の場合は…ダントツで感謝されるのは、やっぱりあれだな…」

 

「あれって?」

 

ヴォルフガングのヘーゼルの瞳が俺に先を促す。

 

〜〜〜〜

 

「イヤーー!…アレクセイ、アレクセイ、来て!!」

 

家内に響き渡る悲鳴…今日はユリウスか?それともリーザか…いや、両方だな…に、俺は髭剃りを中断し、顔をリネンで拭うと、悲鳴の元に駆けつけた。

 

「ア、アレクセイ…お願い!もう、ヤダ!ゾッケンたら…」

 

駆けつけると(毎度のことながら)腰を抜かしガクガクと震えながらユリウスとリーザが抱き合って目の前の飼い猫と対峙している。

 

その先にはー

 

朝イチで獲得した獲物…散々嬲られてグッタリとした丸々太ったネズミ!を咥えて意気揚々と凱旋してきたゾッケンがいた。

 

「よ、よーし。ゾッケン。…今日もすごい獲物だな。なぁ、それ、俺に寄越しちゃもらえないか?…ダメか。ヨシ!ならば…これと交換しよう!な?悪い条件じゃないだろう?」

 

ゾッケンに話しかけながら俺は取引を持ちかけ、マタタビの枝を擦り付けたお気に入りのおもちゃを差し出す。

その取引に、いい加減獲物に飽き始めてきたゾッケンが乗る。

口からネズミをぽとりと落とし、かわりに俺の差し出したその魅力的なおもちゃを咥え、窓辺の陽だまりへ移動すると盛大に喉を鳴らしながらマタタビ風味のおもちゃを堪能し始めた。

すかさず俺はその獲物を袋に入れて口を縛る。

 

「ありがとう〜〜。もう、毎度ながらホンット助かる〜。やっぱり男の人って頼りになるね、ママ」

 

ユリウスと抱き合って半泣きの涙目になってる(そんなに嫌いか!ネズミ)リーザにそう言われると…悪い気はしない。

というか、こんな些細なことでこんなに感謝されるなんて…なんだか申し訳ない気すらしてくる。

 

「どういたしまして。んじゃ、これは仕事に行きがけに役場へ持ってくわ」

(レーゲンスブルクは公衆衛生の強化のために、近年役場が害獣の死骸をはした小銭と引き換えに引き取ってくれるようになっていた)

 

「ありがとね…。朝の支度の途中だったでしょう?ゴメンね。お隣で母さんが朝食を用意してくれているから、済んだらすぐ来て?待ってるから」

 

感謝と賞賛の込められた四つの宝石のような碧の瞳が俺に向けられて輝いた。

 

〜〜〜〜

 

「あー、ネズミ ね。ウチの猫も捕まえたやつをいちいち律儀に見せに来るんだけど、使用人の手の空いてないときは始末係がいっつも俺に回ってくんだよなあ。やんなっちゃうよ」

 

「そう?僕は役場に持ってって小遣いになるから進んで罠にかかったネズミの始末、引き受けるけどね」

 

「小遣いって…あんなの大した金になんないだろ〜?」

 

「そんなことないさ。チリも積もれば…だよ」

 

いつの間にか俺たちの周りにゼバスの奴らが集まって会話に加わってる。

 

「クラウスさんは、役場で引き取ってもらったお金、どうしてんの?タバコ代?」

 

学生のうちの一人の質問に、澄んだソプラノで返事が返って来た。

 

「池のほとりにたむろってる誰かさんたちじゃあるまいし、そんなことに使わないわよ。クラウスはね、いくらか貯まったらお肉屋さんでゾッケンやヴィシュヌのおやつに換えてくれてるのよ」

 

「リーザ!」

 

不意に会話の中に入って来た天使に、その場のゼバスのガキどもが一斉に色めき立つ。

 

「おう、今帰りか?」

 

「ええ。実行委員の仕事をしていたらすっかり遅くなっちゃった」

 

女学校の制服にお下げ姿のリーザが会話に加わる。

 

「リーザ、久しぶりだね」

 

「そうね。ご無沙汰だったわね」

 

「今度の学内演奏会でも、ハープの賛助、引き受けてくれるんだろう?」

 

「必要な曲があれば、そのつもりよ」

 

「楽しみだなあ。曲が決まり次第楽譜を届けるよ」

 

光り輝くような美少女の周りにあっという間に黒い制服の人垣が出来る。

 

そんな様子にヴォルフガングが肩をすくめて「やれやれ…」というように目配せをして見せた。

 

「…グ?…ヴォルフィ!!」

 

リーザに呼びつけられたヴォルフガングが「え?あ、何だよ」と返す。

 

「もう!何だよ、じゃないわよ!楽譜、曲が決まったらアーレンスマイヤ屋敷まで届けといてって言ったの!…それか学校で伯父様かヴィルクリヒ先生に預けてくれても構わないわ」

 

「ハイハイ」

 

「もう…ホントにボンヤリしてるんだから!跡取り息子がいつまでたってもこれじゃあ、お父様もお母様もさぞかし心配でしょうね」

 

まるで小さな子供に向かって言って含めるようなリーザの口調にヴォルフガングはややゲンナリとしているが、されどそれに言い返す気も(最早)ないようだ。

 

「外だいぶ暗いから、店閉まるまでここで待ってろ。奥で茶でも飲んでるか?」

 

「ううん、いい。ここで楽譜見てるわ」

 

「何なら僕がお宅まで送って行こうか?」

 

「いや、僕の方が家が同じ方面だから…」

 

早速名乗りを上げたゼバスの送り狼共に、聞き知った声がかかる。

 

「下心丸出しの送り狼どもに大事な娘を任せられるか!ホラ、君たちも親御さんがそろそろ心配しているぞ!夕食に遅れるのはこの私が許さんからな」

 

パンパンと手を叩きながら店に現れたヘルマン・ヴィルクリヒ校長が蜘蛛の子を散らすようにリーザに群がった黒いゼバスの制服の一群を解散させる。

 

「そこの寄宿舎組も、俺の記憶が正しければ…そろそろ夕食前の点呼の時間だと思うが?」

 

壁に掛けられた時計を確認し、俺も寄宿舎の奴らに声をかける。

 

「あ!やべ。ホントだ」

 

「また来ます、さようなら。校長先生、ゾンマーシュミットさん」

 

「じゃあね、リーザ。オケ、楽しみにしているよ」

 

ゼバスの奴らが帰っていくと、一気に店がガランと広く感じる。

 

もう一度時計を確認し、俺も店のシャッターを下ろす。

 

「レジ閉めるからちょっと待ってろよ」

 

「ああ」

 

「先生、リーザ今度この曲をやってみたいんだけど…」

ーーママがね、昔弾いていて、ずっと良いなぁと思ってて。

 

「ん?どれどれ…。いいんじゃないか。じゃあ次回のレッスンからはこれをやろう」

 

店の楽譜売り場で頭を付き合わせているヴィルクリヒとリーザの様子に思わず笑みが漏れる。

 

「おーい、終わったか?レジ締め」

 

俺のそんな視線に気づいたヘルマン・ヴィルクリヒがカウンターに向かって声をかけてくる。

 

「おう。待たせたな」

ーーホレ、それ渡せ。

 

リーザの鞄を受け取り、彼女を真ん中に三人並んで家路へ向かう。

 

「うふふ…こうしていると、本当におじいちゃんとお父さんと孫…みたいじゃない?」

 

両側の俺たちの腕に手を絡めたリーザが俺たちを見上げて笑った。

 

「ハハ…実際は血の繋がりは皆無だがな」

 

「それは言いっこなしよ〜」

 

戯けて俺が言う。

 

「フフ…。言いっこなしよ〜」

 

俺の口調をリーザも真似る。

 

「だいぶ…日が短くなって来たね」

 

「そうだなぁ」

 

サワサワと秋風に揺れる梢をヴィルクリヒが見上げた。

 

「色んなことがあった…夏だったな」

 

「ふふ…ママのマリッジブルーとかね」

 

いたずらっぽい笑みと共にそう言ったリーザに俺とヘルマン・ヴィルクリヒが声を合わせて答えた。

 

「それは言いっこなしよ〜〜」

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