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​第九十話 Ⅵ

アムステルダム、ユトレヒトとオランダを満喫し、俺たちは「海を見る」という十数年越しの約束を果たしに、隣国ベルギーへと移動した。

北海に面した保養地オステンドを目指してベルギー入りした俺たちだったが、その前に一か所、とある依頼を受けてオステンドへ向かう前にアントワープへと立ち寄ったのだった。

 

その依頼は、ヘルマン・ヴィルクリヒからのものだった。

 

~~~~~

 

「ユリウス…」

店内のバックヤードの小テーブルで、いつものように俺たちがお茶をしていると、珍しい人物が顔を覗かせた。

「先生…?」
―― あ、どうぞ。今お茶いれますね。

ユリウスがたち上がると、手慣れた手つきで傍のサモワールに火を入れ、お茶の支度を始めた。

 

その珍しい客は、聖セバスチャン現校長でユリウスの母親の恋人の、ヘルマン・ヴィルクリヒだった。

「ほう!ロシア式か。どうしたんだ?これ」

ヴィルクリヒが素朴な銅製のサモワールを指さした。

 

「ん?これか?今年の正月にばあさんとこ顔出して、そこにあったサモワール見てたら…どうにも懐かしくなって、蚤の市で買った銅鍋と工場から分けてもらった銅パイプでな、街はずれにいるロマの奴らに構造説明して、設計図描いてみせて、作らせた。なかなかうまく出来てるだろ?」

俺が得意げに自作のサモワールを自慢する。
 

「お前さん、ロマの連中とも付き合いあるのか!…顔が広いな」

 

「ん?酒場に演奏しにきたりするし、それで何となく仲良くなったんだよな。気のいいやつらだぜ。で?何だよ!…わざわざここに茶、飲みに来たわけじゃないよな?」

湯気を立てるロシア風の紅茶を前にヴィルクリヒが居住まいを正す。

「実は…ユリウスに内々に頼みがあって…な」

そう言って奴は向かい合った俺たち二人にそう切り出すと、ユリウスの前に一通の封筒を差し出した。

〜〜〜〜

「中を確かめてくれ」

訝しげな顔をしたユリウスに、ヴィルクリヒが中を検めるよう促した。

「ハイ…。では」

ユリウスが封筒を取り上げ中に指を差し入れる。

封筒の中身は、決して少ない金額ではない額のお金だった。

驚いて何か言おうと口を開きかけた俺たちに、

「私の頼みは…、ユリウス、君にその…、レナーテに贈る指輪を買ってきて欲しいのだ」

奴がそのお金の使い道を告げた。

〜〜〜〜〜

―― その…お前たちの行く予定のベルギーという国は…、ダイヤモンドの取引が盛んな国なのだろう?…私は彼女に一度も、ナンだ?そういったものをプレゼントした事がないものだから…。この機会に是非君にお願いしようと思って…。それともこの金額では足りないか?…何しろ私はそう言った事にとんと疎いものでな…ハハ。

照れ臭げにそのお金の使い道を説明したヴィルクリヒの手を、おもむろにユリウスが握る。

「わ!?」

いきなり恋人の娘に指を絡めて手を握られたヴィルクリヒと、それ以上に俺が激しく動揺し、思わず椅子から腰を浮かしかける。
何血迷ったか?ユリウス!


「何動揺してるんですか!母さんの手の…指の感じは、ぼくと比べてどうですか?細い?それとも太い?」

―― 母さんが指輪をしているのを、実は娘のぼくも一度も見たことがないから…あいにくサイズが分からないんだ。

その突飛な行動は、どうやらレナーテさんの指のサイズを知るためのことのようだった。
確かにサプライズでプレゼントするならばこうやってサイズを推測するのがベストなのだろう。

 

「ちゃんと握って!どうですか?」

ユリウスに促され、ヴィルクリヒがしっかりとその手を握り返す。

「…多分同じぐらい…だろうか」

「節の感じはどうですか?指輪は節が引っかかる場合がありますからね」

「あ、ああ。そうか…。すまん、もう一度握ってもいいか?」

「どうぞ。納得いくまでよーく確かめてください」

真剣な表情で指を絡めて手を握りあっている二人の傍で、だんだんと俺が焦れてくる。

おい!おっさん

人の恋人の指に、いつまでいちゃいちゃと指絡めとんじゃい!!


「おい、指輪ってモンは、作った後でも多少ならばサイズの直しが効くもんなんだろう?大体の目星がつけばもういいんじゃないか?」

「あ、それもそうだね。じゃあ先生、サイズは大体ぼくと同じということで、選んでみますね。お金はこれで十分足りると思いますよ。じゃあ、これ、責任持ってお預かりしますね」

俺にせっつかれ、漸く握った手を離したユリウスがニッコリと微笑んで、目の前の封筒を手元へ引き寄せた。

 

~~~~~

 

「あ!アレクセイ、ここ、ここみたい!」

 

ユリウスが住所と地図を頼りに紹介された店とめぼしき店がまえを指さした。

 

看板を確認する。

 

「おう、そうみたいだな。行くか」

「うん」

 

そこはアントワープの数多の宝石店が軒を連ねる地区の一角にあった。

 

アントワープはオランダのアムステルダムと並ぶ世界のダイヤモンドの取引の中心地である。

ダイヤモンド産業ははるか昔迫害を逃れて流れ着いたユダヤ人たちの手によってかの地で大きく発展し、以来ずっと現在に至るまでこの産業はユダヤ人のネットワークによって支えられ彼らの手に握られていた。

研磨工場、宝石店が軒を並べるこの地区もそういった背景からだろう、近くにシナゴーグが建っていた。

 

ユリウスはユダヤ人だった会社の前のマネージャーにこの店を紹介してもらったらしい。

 

「いらっしゃいませ」

 

中から一人の男性が現れた。

 

「こんにちは。ロンドンのシフさんから紹介された…アーレンスマイヤと申します」

 

ユリウスが名乗り、名刺を渡す。

 

「あぁ、マイエルから聞いております。私は当店の店主のトルケフスキーと申します。初めまして。マダム・アーレンスマイヤ」

 

店主がユリウスの傍らに立っている俺に視線を移す。

 

「クラウス・ゾンマーシュミットと申します。よろしく」と俺も名乗り名刺を差し出した。

 

~~~~~

 

「お母様にプレゼントするダイヤの指輪をお探しとかで」

 

「ええ、そうなのですが実は…それをわたくしに依頼したのが、母と長く付き合っているパートナーでして…。サプライズプレゼントなので、母の指のサイズがきちんと分からないのです。ただ…その男性がわたくしの手を握って確認してみたところ、指の太さはほぼ同じぐらい…ということでしたので、わたくしのサイズで選んでみて…もし微妙にサイズが合わない場合は…」

 

「そうですね。ご地元の宝飾店でもお直しは可能ですね」

 

「ええ。そういうことで…」

 

「お母様はおいくつぐらいなのでしょうか?」

 

「確か…52 になるはず。でも齢よりは若く見えます」

 

「おまけに非常に美しい。…彼女と瓜二つなのですよ」

 

俺が横から付け加える。

 

「そうですか。…それは選び甲斐がありますね」

 

店主がアシスタントに言いつけ、いくつかの指輪を持って来させた。

 

ユリウスが次々に指にはめてみる。

 

「どれも綺麗だね」

 

かざされたユリウスの手の甲の白さが眩い。

 

ほっそりとした指にダイヤが煌めきを放つ。

 

「あ…これ、綺麗。地金は…プラチナですか?」

 

何個目かの指輪を試したユリウスが店主に訊ねる。

 

「ええ。クリアな美しい輝きで、このダイヤのやや青みを帯びた色合いによくマッチしております。プラチナは粘性が高いので、金や銀よりも細く延ばすことが可能なので、ほら、石の周りのオープンワークも繊細で美しいでしょう?」

 

その指輪は中央にローズカットを施した大きな石を配し、その周りを繊細な透かし細工で飾り小さなダイヤを散りばめた華やかなものだった。

プラチナと僅かに青みを帯びたダイヤの涼し気な輝きもレナーテさんの繊細な美貌に良く合いそうだ。

 

「これ、母さんに似合いそうじゃない?」

 

「ああ、俺もそう思った」

 

俺の同意にユリウスは満足げに頷くと、「これにします」とマネージャーに伝えた。

 

「ありがとうございます。それでは鑑定書をご用意し指輪を箱に収めてまいりますので、少々お待ちを」

 

店主は恭しく頭を下げると、一旦奥へと引っ込んで行った。

 

 

「ぼく、リーザたちのおみやげ選んでいるね」

 

ユリウスはショーケースに並ぶ小さなブローチやら髪飾りやらを物色し始めた。

 

その隙に、先ほど店主の傍にくっついていたアシスタントの男の首をガシッとホールドし、ユリウスから離れたところに引きずっていく。

 

「な、なんですか?」

 

「おい、あんた。…頼みがある」

―― 予算、こんぐらいで…指輪、、見繕ってもらえないか?

 

声を潜めて俺はアシスタントの男に指で予算を示してみせた。

 

「…やっぱり無理か?この予算じゃ」

 

声を潜めて訊いて来た俺に、相手も声を潜めて答える。

 

「無理じゃ…ありませんよ。お相手はあの…?」

 

と、少し離れたショーケースに張り付いているユリウスに視線を向ける。

 

「そうだ。…結婚指輪なんだよ。頼む」

 

「分かりました。ベストを尽くします!」

 

アシスタントの男が声を潜めながらも、力強く請け合い、小さく拳を握って掲げてみせた。

 

おお…!なかなか頼もしいじゃないか。

 

 

「ねぇ?アレクセイ、何やってるの?」

 

密談中に不意に声をかけられ、思わずビクッとした俺とは対照的に、「マダム、二階にも若手のデザイナーの手掛けた作品を置いてございます。若々しい今風のものも沢山ございますので、お嬢様にはそちらもお薦めかと」とソツなく対応してみせる。

 

「そうなの?じゃあそっちも見て来ようかな。アレクセイ、もうちょっといい?」

 

「あ、ああ。行って来いよ」

 

二階へ上がっていくユリウスの軽快な足音を聞きながら、俺はホッと胸を撫でおろした。

 

「サンキュ…グッジョブ!」

 

「恐れ入ります。では今のうちに選んでまいりましょう。…こちらとか、こちらは…いかがでしょうか?」

 

ショーケースからいくつか予算に見合った指輪を取り出し俺に示してみせてくれた。

 

「悪くないが…やっぱさっきの指輪見た後じゃあ…だいぶ落ちるなぁ」

 

「そりゃ…しょうがありませんよ。…大体予算が全然違いますからねぇ」

 

うぅ…!

耳の痛い事をハッキリ言う奴だ。

 

「では、先ほどのマダムのお母様の指輪選びとは、コンセプトを変えて、ダイヤの美しさというよりも、デザインの美しさを第一に選んでみてはどうでしょうか?それに、結婚指輪という特別な意味を持つ指輪なのでしょう?ならば…こんなのはいかがでしょうか?」

 

ショーケースからシンプルなリングを取り出してきた。

 

大きさの違う同じデザインのリングが二つ並んでいる。

 

「ペア…なのか?」

 

「そうです。これはギメルリング と申しまして、ホラ…」

 

一つを手に取り、指輪の金とプラチナの部分をスライドさせる。

一つの指輪が二本の輪に分かれた。

 

「ギメルとはラテン語で「双子」を意味します。こうして二つのリングが合わさって一つになる。その絆に夫婦で歩む人生の祈りを込めた、何百年も昔からある定番の結婚指輪のデザインです。奥様の方には、ダイヤを散りばめてございますが、旦那様の方は、プレーンな金とプラチナの地金のコンビリングとなっております。ダイヤが小さいので鑑定書はつきませんが…長くずっとつけているのに相応しいデザインだと思いますよ?」

 

「絆…か」

 

一旦は運命と使命に引き裂かれた俺たち。

 

長い時間をかけて再び繋ぎ合わされた手。

 

「うん、いいな。…これにするよ」

 

「ありがとうございます。ではボックスをご用意…」

 

「あー、いいよいいよ。…ずっとつけているものなんだろう?ならば、箱は不要だ」

 

「…そうですか。では、わたくしの名刺だけお渡ししておきますね。万が一石が外れたりサイズ直しが必要になった場合のアフターケア全般は、わたくしが責任持って担当させて頂きますので」

 

指輪と共に名刺を渡された。

 

トルケフスキー と名刺にある。

 

ん?さっきの店主の…息子か?

 

代金を支払い、指輪と名刺をジャケットのポケットにしまい、握手の手を差し出す。

 

「本当にありがとう。おかげでいい指輪が買えたよ。…あんた、いい販売員になると思うよ。俺も地元で楽器店の販売員をやってんだ。…お互い頑張ろうぜ」

 

俺の差し出した手を、店主の息子が嬉しそうに握りしめた。

 

 

「アレクセイ~。お待たせ。…ん?何やってんの?」

 

固い握手を交わしていたところに、ユリウスが買い物を終えて二階から紙の手提げを提げて降りて来た。

 

「ん?リーザたちのおみやげ、いいの買えたか?」

 

「うん!可愛いデザイン沢山あって迷っちゃった!ホラ、ぼくも」

 

ユリウスが金の髪に煌めくダイヤの飾り櫛を嬉しそうに指さした。

 

「お!いいじゃないか。よく似合ってるよ」

 

「うふふ。ありがと!」

 

「俺もな…地元で販売員をやっているって話していたところだったんだよ。お互い頑張ろうなって」

―― な?

 

「はい激励し合っていたところでした」

 

「そうだったの…。今日は本当にお世話になりました」

 

~~~~

「アレクセイからこれ、先生に渡してくれる?」

 

「おう」

 

マネージャーから渡された指輪と鑑定書をユリウスから受け取る。

 

「今日は本当にお世話になりました。おかげでいい買い物が出来ました」

 

「いいえ。こちらこそ。マイエルにもよろしく伝えてください」

 

「はい」

 

「これからどちらへ?」

 

「オステンドへ。…海を見に行きます」

 

「それはそれは。では引き続き良い旅を」

 

「ありがとう。御機嫌よう」

 

店主とその息子に見送られ店を後にした。

 

店を後にする瞬間、店主の息子と一瞬目があった。

 

奴め…

 

あいつの口が確かに俺に向かって「Good luck」と動いたのがはっきり見て取れた。

©2018sukeki4

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