第九十話 Ⅲ
ユリウスと二人薄明るい夏の夜のアムステルダムの街並みを歩く。
俺の腕に手を絡めたユリウスは金の髪と同系色の淡いイエローのドレスに身を包んでいる。
まるで全身が淡い黄金色に輝くようだ。
ロイヤルコンセルトヘボウは俺たちが生まれた頃に時を同じくして誕生した、創立してまだ40年に満たないヨーロッパの中では比較的新しい管弦楽団だ。
だが歴史は新しいながらも演奏のレベルは高く、殊にマーラーとリヒャルト・シュトラウスは自他ともに認める十八番として知られる実力派の楽団だ。
シューボックス型のホールもヨーロッパ随一の音響と名高く、オランダへ行くならば少し足を伸ばしてでも是非に…と、日程に組み込んでいたのだった。
念願叶ってのロイヤルコンセルトヘボウだ。
しかも十八番のマーラー。
そして何と言っても至福の時間を共にするのは、不滅の恋人だ!
しみじみと己が身の幸せを噛みしめる。
さすが世界一と名高いホールで聞くマーラーは圧巻の一言に尽きた。
細長いホールの構造が、音をまるでシャワーのように降り注がせる。
弦はビロードの、金管は黄金の、そして木管はいぶし銀の響きと称えられるのは誇張ではなかった。
「…まだぼくの身体の中に、あの響きがありありと残っているよ…」
休憩時にホワイエでシャンパングラスに口をつけたユリウスが熱に浮かされたようにポツリと呟いた。
「…俺もだ」
サンクトペテルブルクにも、そしてドイツにもいい劇場は数多あるが…、このホールの鳴りといったら…!
「このアムステルダムで、俺は昇天しちまったのかと思ったぐらいだぜ」
―― 何たって傍らには、金髪の天使様もいるしな?
そう言ってユリウスにウインクを投げかける。
「も、もう!アレクセイったら」と俺の軽口にユリウスも笑顔で応えた。
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バタン!
ホテルの部屋に戻るや否や、後ろ手でドアのカギを閉め、ユリウスと抱き合いキスを交わしながらくんずほぐれつベッドに身を投げ出した。
ベッドの上でユリウスを組み伏せながら靴を脱ぎ去りジャケットとズボンを脱ぎ捨て、カマーバンドを放り、首元の蝶ネクタイを乱暴に解くと、ボタンを外す手ももどかしくシャツを脱ぎ去る。
「あン…ドレスが皺に…」
ユリウスの言葉をキスで塞ぎながら、今度はユリウスのドレスを脱がしにかかる。
淡い金色のドレスの下から、白く輝く素肌が現れる。
「明日、クリーニングに出しゃいいさ」
右手で髪を解きながらもう一方の手と唇で柔らかな肌を愛撫する。
絹の靴下に包まれた艶めかしい脚から靴下をはぎ取る。
滑らかな素足を、太ももからつま先にむかって愛撫する。
運河から香る、北の夏の夜の水の香りと大気に包まれて、俺たちは二頭の獣のように激しく、互いを求め合って一つになった。
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「ねぇ、アレクセイ。こっち来て!いい夜風が入るよ」
愛の行為のあと、俺の腕の中からスルリとすり抜けて、生まれたままの姿で窓際に立ったユリウスが振り返って俺を呼んだ。
夏の夜に淡く浮かび上がるユリウスの白いしなやかな身体と、背中を覆い腰に届く豊かな金髪。
窓から射す月の光が振り返った美しい顔を照らす。
まるでこの世のものではないような幻想的とさえ感じるほどの美しさだ。
「おいおい。さすがにそんなかっこで夜風に当たっていたら風邪ひくぞ」
トップシーツを纏ってユリウスの方へ歩み寄り、その伸びやかな裸体を背中から抱きしめて包み込んだ。
「アレクセイの身体は温かいね」
「お前の肌はやわらかくてひんやりしているな」
トップシーツの中で触れ合った肌と肌の体温が溶け合う。
「ねぇ、アレクセイ。お風呂!お風呂入らない?」
突如ユリウスが思いついたように俺を見上げて言った。
「え?風呂?」
「うん。さっきまでぼくたちまるで獣のように愛し合っていたじゃない?汗だくになって。今日一日の汗を流してすっきりしようよ」
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「アレクセイ~~!お湯が入ったよ。来て!」
バスルームからユリウスが俺を呼ぶ。
「おう!」
バスタブにユリウスと向かい合って湯につかる。
「なんだか…こうして向き合うと、無防備なような…ちょっと心許ない気分。変なの。さっきまで生まれたまんまの姿で激しく抱き合ってたのに」
バスタブの中で俺と向き合い膝を立てて座っているユリウスが上目遣いに俺を見つめてそう言った。
「ハハ…。よくわかんねぇよ。それ」
―― ソラ!
両手で水鉄砲を作ってユリウスの顔めがけて発射する。
「キャ!…やったな~!エイ!お返し」
水鉄砲の攻撃をまともに食らったユリウスが俺の顔めがけて水をかけて反撃してきた。
「わはは!やめろ」
「アレクセイが先にやったんだからね!ガキ大将アリョーシャ!」
容赦なく水をかけてくるユリウスの手首を掴んで懐に引き寄せ、抱きしめる。
「気持ちいいな…」
「うん…」
俺の両足の間に大人しく身体を委ねたユリウスの、白いつま先が水の中でゆらゆらと、まるで人魚のように揺らめいていた。