第八十八話
2月―
ここバイエルンにカーニバルの季節がやって来た。
街中を紙吹雪やお菓子が飛び交い、浮足立った人々のさざめきと歓声が飛び交う。
通りにはビールや軽食を振る舞う特設の屋台にテーブルが立ち並び、かくいう俺もアルバイト先の酒場から駆り出されて、特設のビール売り場に立っていたのだった。
「おう、クラウス。ビールくれや」
「ホイよ」
朝からウンウン言いながら運んで来たビア樽からジョッキに勢いよくビールを注いで渡す。
「ダーンケ」
―― Prost!
ガチン★
(今日何度目かの)ジョッキを合わせる。
「今日アレだろ?ゼバスの。ニーベルンゲン」
「ああ。一応音楽班のとこ顔出して来たぜ。土壇場になって弦切れたとかリード割れたとか、そういうのに対応できるよう」
「お前さん、ゼバス出身なんだろ?学生だった頃は出演したのか?」
「いんや。俺は専ら裏方だったな。最後の年は小道具だった」
「へぇ。そうなんだ。や、色男だからさ、てっきり主役でも務めてたんかと思ったぜ」
「そらどーも。だけどおだてたってビールのサービスはねぇぜ?」
「チャーー!しょっぺぇな」
「でも寄宿舎入ってたから劇の後のパレードは参加してたぜ。古代ギリシャの仮装して仮面被ってな」
「あぁ、恒例の劇の後のアレか」
「そ。クリームヒルトとジークフリート乗せた輿の後をゾロゾロとついてくアレ…」
「クラウス!」
「え?!」
俺の元に駆け寄って来た―、ゼバスの制服に身を包んだ金髪の少女に目を瞠る。
本当に…一瞬、本当に、カーニバルの魔法で時間が17年巻き戻ったかと思った。
目の前のリーザは、どこぞから調達して来たのか、ゼバスの制服を纏っていて…それは、17年前のカーニバルの前に、忘れもしない―、ユリウスが同じようにこの制服に身を包み大胆にもゼバスに乗り込んで来た時の姿に、まさに生き写しだった。
あの時と同じように、金の長いウェーブヘアが黒い制服に映えて二月の風に靡いている。
「どう?似合う?」
あまりの既視感にクラクラと眩暈さえしてくる。
「あ…あぁ。…驚いた」
やっとのことでその一言を口にした俺に、少し後からやって来たユリウスが微笑んでいた。
「驚いた?」
娘の傍らに立ち、肩を抱いて風邪で乱された金の髪を指で梳いてやっている。
「…何かの魔法にかけられたかと思ったぜ」
「ここ数年ね、流行っているみたいなの。カーニバルの時に街の女の子がたちがゼバスの制服で男装するの」
―― ね?
―― うん。
母娘が顔を見合わせて頷き合う。
「昔…ゼバスに乗り込んで来た時のお前と瓜二つだな。心臓が口から飛び出しそうになったぜ」
「ママの少女時代もゼバスの制服、流行ってたの?」
何も知らない(当たり前か)リーザが母親の顔を見上げて訊ねる。
ユリウスの代わりに俺がその質問に答える。
「いいや。でもお前さんのママは…その制服に袖を通した、おそらく最初の女の子だろうな…。だろ?」
俺に同意を求められたユリウスが茶目っ気たっぷりの笑顔で応えた。
「さ、行こう。もう間もなく上演だよ」
―― リーザ!席取ってるよ~。早く~~!
―― ありがとう。今行く~。
同じくゼバスの制服で男装した友達に呼ばれ、リーザが駆け出して行った。
「ちょっと抜けます」
「あいよ。後輩の舞台、楽しんで来いよ」
マスターに見送られ、俺とユリウスも売り場を離れて会場へ向かった。
開幕間際に会場につき、一番後ろの列でユリウスと並んで立ち見する。
―― ああ、ジークフリート様。どうかあなたの真心と愛情におすがりさせてくださいまし…。
―― クリームヒルト姫。わたしの命のある限りいささかもご心配なさるには及びません…。
ステージ上で繰り広げられる古の世界。それをユリウスと二人で懐かしく眺める。
いつかの…春を待ちながらこいつとあの場所で興じた芝居ごっこ。
主役の二人が愛を交わし合うシーン。
舞台上のクリームヒルトとジークフリートが見つめ合う。
舞台をしり目に俺たちも二人見つめ合う。
舞台上の二人が口づけを交わす。
そして見つめ合った俺たちも…。
舞台上からそれを目にした出演者の奴らの視線を感じながら…な。