第八十六話Ⅱ
1921年の年が明けて間もなく、グラースの屋敷にユリウスが現れた。
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「アレクセイ!!」
俺の顔を見るなりユリウスが手に持っていた旅行鞄とコートを放り出して走り寄り、俺の首元に飛びついた。
「ワ!…え?ユ、ユリウス?」
飛びつかれるままにこの状況が飲み込めずに、ただただ恋人を抱きとめている俺に、
「…キスはしてくれないの?」
と大きな瞳で上目遣いに見つめ可愛いおねだりをしてくる。
「あ!ああ。…新年おめでとう。ユリウス」
「新年おめでとう。アレクセイ」
新年を祝い合い、1921年最初のキスを交わす。
床に投げ出されたユリウスの荷物とコートを拾い上げる。
「失礼致しました。坊っちゃま、どなたか…。え?ユ、ユリウス様?」
来客の気配に慌ててエントランスに出てきたオークネフも、このサプライズ訪問に驚いて目を丸くしている。
「新年おめでとう。オークネフ。…お祖母様は?」
「サ、サロンにおいでです。一体…あ!まさか工場で何かトラブルでも?」
何か生産ラインでの不測のトラブルが起きたのかとオークネフの顔色が変わる。
「まさか!第一こんな新年早々さすがに工場も動かしてないよ」
そんなオークネフにこともなげにユリウスが答える。
「どうしたって言うんだよ。…聞いてないぞ」
「ふふ。サプライズだよ。驚いた?グラースは冬でも暖かいね。暑くなって途中でコートを脱いじゃった!」
茶目っ気たっぷりに俺とオークネフにユリウスが微笑む。
そんなユリウスに思わず俺とオークネフは顔を見合わせてしまった。
「お祖母様はサロンだよね。さ、行こう。アレクセイ。あ!オークネフ、その鞄にお土産が入っているからそれは部屋ではなくてサロンに持ってきて!」
「は、はい。かしこまりました」
女中にユリウスのコートを渡し、部屋の準備を命じているオークネフをエントランスに残し、ユリウスに絡めた腕を引っ張られるようにして、俺たちはサロンへ向かった。
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「まぁ!ユリウス!?」
突然の来訪にやはり言葉も出ずに目をパチクリさせているお祖母様に、ユリウスが駆け寄り抱き優しく両肩を抱き寄せる。
「お祖母様、新年おめでとうございます」
頰を寄せられたお祖母様が、戸惑いながらもユリウスの肩を抱きしめ頰を寄せる。
「新年おめでとう。ユリウス」
〜〜〜
「とても嬉しいけれど、一体どういう事なのですか?あなた、ご家族は?」
「そうだよ。お前アーレンスマイヤ家の人たちや、リーザやレナーテさんは…」
ひとしきりサプライズ再会を喜びあったところで、サモワールで熱々に沸かした紅茶と、ユリウスがお土産に持たせてくれたクッキーでお茶にする。
俺とお祖母様の疑問に
「あぁ。…あのね」
とユリウスが答える。
ーーお父様がね、「新年はあちらで祝いなさい。ミハイロフ家の方にちゃんと挨拶をして来なさい」って、送り出してくれたの。あ、もちろん他の皆もだよ!リーザも母さんも姉様たちも。
「まぁ…!」
あちらの人たちの優しい気遣いに、お祖母様は感無量で、言葉がそれ以上出てこないようだ。
「それでね、「これを持って行きなさい」って父様が持たせてくれたんだ」
ユリウスが旅行鞄を開けて中から包みを取り出した。
「ハイ!ロシアの人はよく食べるのでしょう?」
包みの中から現れたのは、何個もの最高級のキャビアの缶詰だった。
「…どうりでお前の鞄が妙に重かったわけだ」
「さすがに重くて…駅からこのお屋敷まで来るの大変だったよ」
「まぁ…ありがとう。こんなにたくさん。本当に…さぞかし重かったでしょう。嬉しいわ。お父様にくれぐれもお礼を言ってちょうだいね」
「喜んで貰えて良かった!ウンウン言いながら持ってきた甲斐があったよ!」
「ブリヌイを作らせて、一緒に頂きましょう。この上ない賑やかで贅沢な新年になりましたよ」
喜びに頰を紅潮させながら祖母がユリウスの肩を抱き寄せ頰にキスをした。