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第八十四話 Ⅰ

あいつの実家、アーレンスマイヤ屋敷の晩餐に招待された。

「なぁ、俺、おかしくないか?」

「大丈夫。決まってるよ。自信持って」

そう言ってユリウスは俺のネクタイを直し、髪を耳にかけてくれると、ニッコリと微笑んだ。

あいつと再会したあの日に、祖母とユリウスを結びつけた数奇な縁と、それによってユリウスの手に渡ったストラディバリの事は聞かされといた。

今あいつの手に渡ったストラディバリは、メンテナンスを施されアーレンスマイヤ家の金庫に大事に保管されているという。
お祖母様には「この楽器は将来有望なヴァイオリ二ストたちに貸与したいと思う」とは言ったものの、俺たちの思い出に繋がるそのヴァイオリンをどうにもユリウスは手離し難かったようだ。幸か不幸か、今のゼバスにはストラディバリに見合うだけの力量と才能を持った生徒もいなかったために、校長のヴィルクリヒと相談してもう少しユリウスの手元で、アーレンスマイヤ家で「その時」が来るまで保管していたら良いだろうということになったらしい。

「その時」は思いがけない形でやって来た。

つまり、死んだはずの持ち主(つまり俺)がひょっこり現れたというわけだ。

ユリウスに「近日中にあなたに楽器を返したいから、アーレンスマイヤ屋敷に来て」と言われ、招かれるままに今この屋敷の門をくぐったという訳だ。

相変わらずこの屋敷はデカイ。
荘厳な鉄扉の門。柵に絡んだ薔薇とアイビーの蔓はきちんと庭師の手が入り美しい状態を保っている。

邸内には昔はなかった車止めのポーチとガレージが作られていた。

このご時世没落する貴族が後を絶たず、使用人を殆ど維持できず荒れるに任せる屋敷も多い中、この家は屋敷をきちんと維持されているようだ。使用人も多い。

「ようこそいらっしゃいませ」

昔と変わらない、天井の高い広いエントランスで執事に迎えられる。
この執事も相応に年老いたものの、変わらず健在だ。

「あ…確か、クラウス・ゾンマーシュミット…様でしたね。ご無沙汰致しております」

「あ、ご無沙汰しております」

コートを預け、サロンへ通される。

「クラウス、いや…アレクセイ・ミハイロフ。久しいな」

猫脚のウィングチェアから立ち上がり、アーレンスマイヤ氏が俺を迎えた。

娘と挨拶のキスを交わし、俺に握手の手を差し出す。

もう結構な年の筈だが、矍鑠として病みついていた十六年前よりもむしろ若く見えさえする。

握手にも力があり、貴族らしく手入れの行き届いた手は指先まで美しい。

ダーヴィト一家、細君のユリウスの上の姉君(確かマリア・バルバラさんだ!)と二人の間に生まれた母親に面立ちのよく似た黒髪の美少女もサロンに控えていた。

「クラウス・ゾンマーシュミットさんでしたわよね。…わたくしを覚えているかしら?」

ユリウスと面立ちの似た姉君と頰を寄せ合い挨拶を交わす。

「勿論です。マリア・バルバラさん。ご無沙汰しておりました。…レーゲンスブルクへ帰って来ました」

「お帰りなさい。レーゲンスブルクへ」

ーー私たちの宝物を紹介するわ。

「初めまして。叔母さまのドラマティックな再会のロマンスは学校中に知れ渡っていたから、今日お会いするのをとても楽しみにしてました。テレーゼ・フォン・アーレンスマイヤと申します」

「いや…照れるな。アレクセイ・ミハイロフだ。よろしく。昔はクラウス・ゾンマーシュミットと名乗っていたから、君のお父さんたちは…クラウスと呼ぶが、アレクセイ、クラウス、好きな方で呼んでくれ」

「…どちらで呼んでほしい?」

「じゃあ、外ではクラウス・ゾンマーシュミットで」

「オーケー。分かったわ。よろしく、アレクセイ」

差し出された握手の手を取り、恭しく白い甲に口付けた。

「おい、何してんだ」

その瞬間ダーヴィトの拳骨が脳天に降って来たが…。

「いてて…。淑女に敬意を表しただけだ」

「あー!ずる〜い!テレーゼだけ〜〜」

その様子を見ていたリーザが不満げに口を尖らせる。

「ん?お前さんは…」

「してないよ〜。そんなの〜〜」

「悪い悪い。これでいいか?」

昔この娘の母親によくしたように、金の頭をクシャクシャと撫で、ほっぺたにチュッとキスをした後に鼻先をちょいとつまんでやった。

「もう!何それー?!さっきと全然違うんだけど!」

「ん?ダメか?…お前のママはすっごく喜んだんだけどなあ」

「え〜?そりゃ…ママはそうかもしれないけど〜〜」

「もう、アレクセイったら…」

アハハ…

俺とリーザのやりとりに、サロンが笑いに包まれる。

「なんだ!もうそんなに打ち解けたのか!…なんか、こうしてみていると…本…いや」

そこまで言いかけてダーヴィトがその先をのみ込んだ。

「家族に本物も…嘘もないと私は思うわ。ね、そういうことよね」

その先をマリア・バルバラが続けて、傍らの夫に微笑みかけた。

「ああ。そうだ。…流石僕の奥さん。分かってるね」

ダーヴィトが満足げに大きく頷く。

「いらっしゃいまし。…あ、先日は」

お茶の支度をしてゲルトルートが現れた。
俺を認めて小さく会釈する。

「…あれから俺はリーザとレナーテさんに不審者扱いされて…あわや二人からボコボコにされるとこだったよ」

「聞きましたわ。ふふ…ごめんなさいね。帰り際にレナーテさんの部屋に寄って一言お伝えすればよかったですね」

「いや…まぁ、でも。あれはどう見ても…」
あの時の状況を思い出しながら俺は鼻先をポリポリとかいた。

「そうだよー!もう驚いたったら!」

「リーザがバルコニーから血相を変えて、「ママが見知らぬ男に襲われてる」って駆け込んできたものだから…。それはもう…」

ーーねぇ?

レナーテさんとリーザが顔を見合わせた。

またしてもサロンが笑いに包まれる。

「あ、これ。ちょっとしたものだけど。後で皆さんで」

 

先程ユリウスとパティスリーで買い求めた手土産のチョコレートをゲルトルートに手渡す。

「あら、恐れ入ります」

「まあ!嬉しいわ。ここのチョコレート、好きよ」

「私も〜」

 

俺の手土産に女性たちが群がって歓声を上げる。

「食後のコーヒーと一緒に出してもらおう」

街の菓子屋で買い求めた何てことのないチョコレートの詰め合わせだったが、皆素直に喜んでくれて…、ちょっとしたことだが、ホッとして肩の力が抜ける。


 


「良かったね、アレクセイ。手土産喜んでもらえて」

ユリウスが俺の今の気持ちをそのまま言葉にして微笑みかけると小さく肘で俺を突いた。

俺も小さく頷き微笑みかえし、ユリウスの肘に自分の肘をコツンと合わせる。

「食事の支度が整いました」

執事がサロンに晩餐の食卓が整ったことを告げに現れた。

〜〜〜〜

晩餐は貴族らしく旬のジビエやキノコ、栗などを多く用いた献立だった。

旬の恵みのもたらす味わいに舌鼓を打つ。口中に身体の隅々まで濃厚な旨味が行き渡る。




美味い食事とワインと共に晩餐は進んでいく。

二人の若い娘たちの学校の話や姉妹の経営している会社のこと、そして時事などが話題に上る。

それらの話に耳を傾け、笑い、時に意見を求められそれに対して答えたりしながら、俺はいつ自分のことー、ユリウスと別れレーゲンスブルクを去ってからの16年間の事を話すべきかとそのタイミングをうかがっていた。
話すべきことー、
だがしかしどこから話したらいいのやら、そもそも自分はどこの馬の骨の者で、どういうことをしていたか…更には仕方のなかったこととはいえかつて親友や学校の人間、街の人皆を騙していたこと、それらが俺の口を重くしていた。




メインディッシュが終わる頃、漸く俺は意を決した。

「あの!」

俺の声に皆がフォークとナイフの手を止め俺に注目する。

頭の中で組み立てていた筋書きが途端に混乱して上手く口から出てこない。

「俺は…実は…」

口ごもりその場に沈黙が流れる。

その気まずい沈黙を破ったのは、老アーレンスマイヤ氏だった。

「…人の一生というものは、短いようで長い。誰しもその人生の内に栄光も挫折も同じだけ存在しているものだ。君が今どうしても話したいのならば、我々はその話に真摯に耳を傾ける所存だが、大切なのは、今君がここでこうして、我々と同じ時を過ごしている、その事実なのではないのか?」

「あ…」

そうであろう?とでもいうように俺に向けたアーレンスマイヤ氏の強い眼差しに、無言で頷いた。

「ねえねえ、そんなことよりも、叔母様とアレクセイの若かりし日のラブストーリーの方が余程気になるわ!馴れ初めは?どこでどうして二人は知り合ったの?」

この一言でさっきの重苦しい空気は跡形もなく収束して吹っ飛んだ。

ハハ…
俺の面白くもない来し方よりも、やっぱこっちか。

「おいおい…。せっかくクラウスが意を決したのを“そんなこと”呼ばわりかい?随分だなぁ」

「だってお父様、学校でももうこのことで持ちきりだったのよ!私も随分と聞かれたけど…叔母様秘密主義だから私なーんにも知らなくて何一つ答えられなかったのだもの」

ーーね?

ーーうん。

父親の呆れた口調に少し唇を尖らせながらそう答えて、テレーゼとリーザが頷き合う。



「フフ…ごめんなさい。…なんだか街中の噂になってるみたいだね。…いいよ、なんでも聞いて!答えられることならばなんでも答えるから。ね?アレクセイ」

「お、おう」

テレーゼとリーザの不満に、ユリウスが晴れやかな笑顔でサバサバと応じた。

「ホント?」

「ホントホント」

「じゃあ〜、まずは馴れ初め!アレクセイと叔母様はどうやって知り合ったの?」

 

「ぼくたちはね、今から17年前の秋の終わりに、オルフェウスの窓で出会ったんだ」
 

「あの日あの窓辺から俺は空を見てたんだ。その時にちょうど塔の下をこいつが通りかかって…。」

テーブルの下で俺とユリウスは手を握り合って、今でも鮮明に覚えているあの出会いを、娘たちに語ったんだ。

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