第六十八話 後
「皆さん、少し一服されたらいかがでしょう?」
ーーレモネードが入りましたよ。
屋敷からゲルトルートとレナーテがレモネードを運んできて皆に振る舞う。
「ありがとう」
「わぁ!冷たい」
太陽の下で汗を流した一同の喉を冷たいレモネードが滑り落ち、乾きを潤す。
「今日は小春日和で日差しも強いわ。もうそろそろ切り上げた方が良いのじゃない?…あなたたち陽に当たり過ぎて頰が赤いわ」
レナーテがそう言って娘と孫の少し紅潮した頰に触れた。
「え?うそ!そんなに?」
「そんなにってほどではないけれど…。でも今日は十分日焼けの火照りを冷ました方がいいわね」
「そろそろ切り上げるか…」
空になったグラスをトレイに戻したレオニードに、
「待って!じゃあ最後にあとワンゲーム!…レオニード、ぼくの挑戦を受けて」
ユリウスの碧の瞳が挑むように勝気に輝いた。
「ほう。お前が?私に?…ふっ。よかろう。ハンデはどうする」
ユリウスから思わぬ宣戦布告を受けたレオニードが余裕綽々の体で挑戦を受けて立つ。
「ハンデ?いらないよ、そんなもの。最後の一戦は…混合ダブルスで。レオニード、あなたはフロイラインと、そしてぼくはロストフスキーさんと。勝負だよ」
ユリウスの提案した混合ダブルスに、
「ふん。よかろう。但し、一切手加減はせぬぞ。真剣勝負だ。ユリウス、ロストフスキー」
ーー フロイライン、私とのダブルス、受けてくれますね。
レオニードの生来の闘争心に火がつく。
「そうこなくっちゃ!ロストフスキーさん、レオニードが相手だからって、一切の遠慮も忖度もなしだからね!」
「は、はい!」
「ねえ、どうせ真剣勝負なのだから、何か賭けようよ。そうだ、この勝負に負けた方が勝った方の要望を叶える…というのはどう?」
「よかろう。フロイライン、何を要求するか今から考えておかれた方がよいでしょう」
「は…はい」
「言ったねー?もうそっちが勝った気?悪いけど、そう簡単にはそちらのシナリオ通りには行かせないよ!ね?ロストフスキーさん」
「は…はぁ」
「はぁ じゃないよ!しっかりしてよ!ロストフスキーさんも、勝ったらレオニードに何して欲しいか、考えておくんだよ?」
「わ、私が ですか?」
「当たり前じゃない」
「おーい…。マイクファイトはそこまでにして、ゲーム始めるぞ」
痺れを切らしたダーヴィトがアンパイアチェアからプレイヤーたちに声をかける。
「あ!御免なさい」
「では始めるぞ。本日のファイナルゲーム。混合ダブルスを始めます。親父様、コイントス、お願いしてよろしいですか」
「うむ」
アルフレート氏がダーヴィトからコインを受け取り指で弾いてトスをする。
「表」
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ゲームはレオニードフロイライン組のコート、そしてユリウスロストフスキー組のボールの選択でスタートした。
イギリス人のコーチについて幼い頃からラケットを握っていたというレオニードもロストフスキーもテニスの腕はかなりの名手である。
おまけに幼い頃から二人でやって来ただけに、お互いの手の内もほぼほぼ知り尽くしている。
ロストフスキーが主人で上司であるレオニードへの遠慮を差し引いても、試合は思いのほか白熱した展開となった。
まあ試合もちゃんと白熱したと言えば白熱したのだったが…。
「ちょっと!ロストフスキーさん。忖度しないで真剣にやってよ!!」
「そうだぞ。ロストフスキー。手加減は無用だ。本気で打ってこい!」
ーーそうは言っても…。この二人、似た者同士…というわけでは決してないのだけど、負けず嫌いなところは本当似てるというか…。
板挟み状態になったロストフスキーが困惑顔でパートナーと対戦相手を交互に見やる。
「それを言うならばユリウス、お前もだ」
「ぼく?」
異な事を聞いた とばかりにユリウスがわずかに眦を上げる。
「そうだ。お前フロイラインに手加減しているであろう。そんな気遣いは一切不要だ。フロイラインの力量は私が補って余りあるゆえな。本気でかかって来い」
「ぼくのは手加減じゃないもん!…ハンデだよ」
傲然とユリウスが言い返す。
ーーだからそれを手加減だと言うのでは。…私に手加減不要と言いながら…。自分の言ってることの矛盾に全く気づいてないし!
「あの、侯爵…」
「何ですか?」
「そういう侯爵も…何気にユリウスには手加減して打ってますよね?」
「ぐっ…」
コート内は舌鋒が炸裂し、そのやりとりに、ギャラリーが身体を折って笑いこける。
「おーい。君たち。見てるぶんには面白いが…これ以上試合の進行を妨げると、双方にペナルティを課すぞ」
挙げ句の果てにはアンパイアの警告を食らう始末である。
ベンチで観戦していたアーレンスマイヤ氏が可笑しくて堪らないと言うように呟いた。
「白熱と言うよりは…最早泥仕合だな」
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「ありがとうございました」
度々舌鋒が炸裂し試合進行をさまたげながらも、レオニードフロイライン組の勝利で泥仕合の決着が着いた。
双方四人が握手を交わして互いの健闘を讃える。
「あ〜!悔しいなあ。レオニード、次は必ずリベンジするからね」
「望むところだ。腕を磨いていつでも来い」
「相変わらずの腕前。見事でした」
「うむ。大分ブランクがあったが…案外と身体は覚えているものだな」
「お兄様とロストフスキーは、幼い頃から英国人のコーチについていたのよ。試合では負けなしだったわ」
「そうなの?」
「ロストフスキーとペアを組んでいたとは言え、私をここまで追い詰めたのは中々大したものだ」
「ふん。そうやって余裕をかましてればいいよ。いつか絶対吠え面かかせてやるんだから!ね?ロストフスキーさん」
「え?ま、またですか?」
「当たり前だよ!あなたも負けたままじゃ悔しいでしょう?」
「そ、それは…」
困ったようにロストフスキーがユリウスとレオニードを交互に見やる。
「もう、いい加減になさい。ロストフスキーさんも困ってらっしゃるわ」
そんな妹をマリア・バルバラが嗜める。
「それより、約束だからね。そちらの要求に従うよ。何でも言って!」
「ああ。そうであったな。…フロイライン、何でも構わないから言うがよい」
「…何でも構いませんか?」
「実現可能なものであれば」
レオニードに水を向けられたフロイラインが、少しの逡巡の後にレオニードを見上げて言った。
「…ダンスがしたい。こないだのお茶会の時のように…皆さんと…ダンスがしたいです」
そう言ってフロイラインは、はにかんだ笑顔をレオニードに向けた。