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第六十五話

第五章

ユリアはかつて皇女で、何人もの侍女にかしずかれて生活していた私の事を気遣ってか、日に何度も私の自室を訪れて、身の周りの事などちょっとしたことに進んで手を貸してくれた。

 

朝の身支度の時間になると、いつしか現れ、着替えを手伝い、私をドレッサーの前に座らせ甲斐甲斐しく化粧をし、髪を梳かし、爪に丁寧にやすりをかけてくれる。

 

…着脱に手間のかかる女性のドレスと違って相変わらず男装で過ごしている私に…正直そんなに手助けは必要ないのだけど。。。。

 

私の心の内を察したのか、

 

「私の娘がね…、今年九つになるのだけど、最近急に親離れしちゃってね…。何をするにも「一人で出来るから。ママは手を出さないで」って・・・・。親の私が言うのも何だけど聡くてしっかりした子で…。それはそれで喜ばしいことではあるのだけどね、なんだか急に自分の手を離れてしまって、寂しくなっちゃって」

 

―だから、ね?もうちょっとだけ、そんな哀れな母親に付き合って?…こっち向いて。

 

そう言うと、私の顎をそっと取り、唇に丁寧に紅を引いてくれた。

 

 

 

「ユリアはいくつなの?」

 

「29」

 

「…結婚は?」

 

「一度したけど…もう…5年ぐらい前かな。離婚して、娘とレーゲンスブルグに出戻って来たの」

 

「ふぅん。そうだったの。どこに嫁いでいたの?レーゲンスブルグ?それともミュンヘン?」

 

「フランクフルト」

 

「へえ」

― 私の母の…故郷の近くだ。

 

「そういえば、フロイラインのお母様の故郷の近くだよね。…ヘッセン大公国へは…行ったの?」

 

ユリアの質問に私は無言で首を横に振った。

母の実家とは言っても…あそこにいたのは生まれてからたった5年だけで、あとはイギリで育った母。…きっと今更顔を出しても、困惑されるだけだ。

 

「…ドイツ語、苦手だし」

 

「ふふ。そうだよね~。でもここで暫く生活していれば、日常会話ぐらいすぐにどうにかなるよ」

 

「…頑張ります」

 

「励んで下さい!さあ、出来た。今日も髪はツヤツヤ、頬はバラ色で、とても綺麗ですよ」

 

鏡に映った私の髪に白い指を絡め、カールを整え、顔にそってそっと流してくれた。

 

「ありがとうございます」

 

「いいえ。どういたしまして。ねえ、いつまでも男装でいるけれど、いいの?よかったらドレスを用意させるよ?」

 

「ん~。ドレス…かぁ。でも男装って…慣れてみるとコルセットで身体を締め付けないし、靴も足を締め付けないし結構快適で・・・・。そりゃ綺麗なドレスが懐かしい時もあるけれど~…」

 

「ならば身体を締め付けない、今風のドレスを見繕って持って来るよ。あなたが昔着ていたドレスには比べるべくもないけれど…。こういうやつね」

 

ユリアが両手を広げて自分の着ているストンとしたシルエットのドレスを私に示してみせる。

 

たしかに身体を締め付けない直線的なデザインで、ひざ下あたりのスカート丈からしなやかな足がスッと伸びている。

 

「足の出るドレスは…抵抗がある?」

 

「…そんなこと…ないけど」

 

「じゃあ決定。近いうちにあなたに似合いそうなドレスを何着か見繕って持って来るよ」

 

 

 

「ねえ、お嬢さんの話、きかせて」

 

「娘の?」

 

「ええ。名前は?」

 

「エリーザベト。リーザって呼んでるんだ」

 

「へ~。リーザちゃんか。それから?」

 

「ん~~。もう生意気で生意気で。毎日やりこめられてます。女の子はホントに達者だね」

 

「あはは。ねぇ、ユリアに似てる?」

 

「見かけは似てるかな。でも中身は…あまり似てないかも。中身は…母、あの子のおばあちゃんね、に似てるかもしれないな~。でね何かというとすぐ「もう、ママったら」ってダメ出しするのだけど、その口調が、母にそっくりなの」

 

確か、ユリアと姉君のマリア・バルバラさんは異母姉妹だと聞いた。ではユリアのお母様は、あの老アーレンスマイヤ氏の後妻…なのか?

でも私達一行を迎えてくれた時に…彼女の母親らしき人物は…いなかった気がする。

もう物故している?

 

「お母様…は?」

 

「ん?健在だよ。今はアパートの隣室に住んでる。嫁ぎ先にも一緒について来てくれてね。それで離婚した時に…一緒に出戻って来た。って当たり前だよね。アハハ」

 

娘の嫁ぎ先に付き添った上に、現在も別居…ということは、アーレンスマイヤ氏とは…婚姻関係を結んでは…いない?

 

 

「!!…ごめんなさい。母の話を調子に乗ってべらべらと…」

 

ユリアの母親と父親であるアーレンスマイヤ氏の関係に、怪訝な顔をしていたのだろう私の表情に、ユリアはどうやら誤解したようだ。家族と一人生き別れ、亡命してきた私の身の上をユリアが慮って、申し訳なさそうな顔になる。

 

「ううん。いいの。…ねえ、ユリアのお母様って、ユリアに似てる?」

 

「え?あ、うん。そっくり。髪の色も目の色も一緒。うちは親子三代皆同じ顔」

 

…それは、さぞかし綺麗で、三人並ぶと壮観だろう。

 

「ねえ、今度…ユリアのお母様とお嬢さんに会ってみたいな」

 

言ってから、今度は私は我に返ってハっとなる。

なぜこんなにフランクなユリアが、私に…というよりもこの離れに母親と娘を近づけさせないのか。理由は明確だ。

 

私は亡霊だ。この世に、この世界にいてはならない人間だ。

そんな亡霊と交わると…思わぬ災いを引き起こすから…。

 

失言に口を噤んだ私に、ユリアの澄んだソプラノが答えた。

 

「いいよ。…あなたさえよければ、今度二人を、この離れに連れてくるね。…そうだ。お茶会に招かれてもよろしいですか?フロイライン」

 

「え?…いいの?」

 

びっくりして訊き返した私に、ユリアは大きく頷いた。

 

「でも…私と交わると…その…」

 

「大丈夫。あの二人は。私よりもずーっと賢いから。ちゃんとわきまえてるよ。じゃあ、お茶会はいつになさいますか?フロイライン」

 

「…週末。今週末に。侯爵と、それからロストフスキー大尉も一緒に」

 

「それは、にぎやかなお茶会になりそうですね。姉夫妻と父も…誘ってよろしいですか?」

 

「勿論。喜んで」

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