第六十五話
第三章
ドイツへ入る。
だけど―。母の実家であるヘッセン大公国のダルムシュタットではなく、なぜバイエルンの、聞いた事もない小都市なのだろう?
私の疑問に侯爵が答えた。
「あなた様の父君が、いや、正確に言うと父君の祖父君、アレクサンドル二世陛下の御代に、ヨーロッパ各国に託したロマノフ家の財産の、ドイツの管理人がそこにいるからです。しかし今から十数年程前その財産を巡って管理人の家内でトラブルが発生し、その隠し財産の管理はおろか、決して知られてはならない隠し財産の存在自体が世間に知れてしまうおそれがあったために、やむなくドイツのその管理人から一旦私に財産の返還と相成ったのです。しかし返還されたものの、ますます政情が不安定になってきていた当時のロシアへその財産を持ち帰る訳にはいかず、やむなくそのままその管理人のいるドイツのレーゲンスブルグでアセットマネジメントの法人を立ち上げ、引き続きレーゲンスブルグで資産を管理しており、現在に至ります」
長年財産を管理し続けていたアーレンスマイヤ家(というらしい)の当主もその後継の子女も健在で事情の分かった人間のいるところで管理していた方が色々と好都合な点も多く、何といっても静かで落ち着いた良い街だったのでそこで会社を立ち上げ管理することに決めた ということだった。
しばらくは、そのアーレンスマイヤ家にお世話になり、その家の離れに逗留させてもらう手筈になっているらしい。
その家は、町一番の旧家で名士だという。
ロシアに沢山所有していた宮殿や、ユスーポフ侯爵の邸宅、モイカ宮殿には規模としては遠く及ばないものの、美しいゴシック様式の瀟洒な邸宅だった。
現在の家督を預かっている長女夫妻―、紳士然とした長身の優しそうな男性とその妻でアーレンスマイヤ家の長女である凛とした雰囲気の長身で黒髪の女性と、先年家督を譲り現在は隠居の身であるという長身の老紳士、そして現当主夫人の妹という金髪の美しい女性が私達一行を恭しく出迎えてくれた。
ロシアからはるばるやって来た私たちを迎えてくれた、アーレンスマイヤ家の人間の中でも、一番若く、そしてひときわ美しい金髪の女性を一目見て、そしてその女性に向ける侯爵の眼差しを見て、私はなぜ侯爵がこの地で法人を立ち上げたのかその真相をたちどころに理解した。
別に落ち着いた静かないい街だとか、事情の分かった人間がいるからとかそう言う事よりも…とどのつまり―、侯爵は、このアーレンスマイヤ家の美しい女性に強く惹かれていたのだ。
きっと侯爵は、頑として認めないとは思うけれど。。。。