第六十五話
第二章
マルタ島で親戚筋のギリシア王室に謁見を申し入れたが、私たちの申し入れは結局叶わなかった。
ギリシア王室も面倒な事は背負いたくはないのだろう。
「本当に申し訳ございません。…イギリス王室との謁見の折には、絶対にこのようなことのなきよう十分に根回しを致しますからには…」
筋骨隆々とした長身を深々と折り、私に頭を下げて謝罪してくる侯爵に改めて申し訳なさが募ってくる。
「頭を上げて下さい。…あなたが頭を下げて謝ることではないのですから…。あなたには…本当に感謝しかありません。これからもあなたにはお世話になることばかりかと思います。…心苦しいばかりですが、今後とも宜しくお願い致します」
私のその言葉に、「勿体無いお言葉…」と俯いていたまま侯爵は肩を震わせていた。
そう…。
決して侯爵のせいではない。
侯爵は過ぎるほどのことを私に、ロマノフ家の亡霊のような私に忠義を尽くしてくれている。
感謝こそすれあのように苦渋に顔を歪めながら謝られるようなことなど…。
でも私は…?
本当に侯爵に感じている気持ちは、感謝しか…ない?
ギリシャ彫刻のような均整のとれた長身の体躯。
どこかエキゾチックな香りを漂わせていながらも気品溢れる容貌。
強い光を放つ黒い瞳。
漆黒の髪。
私が…侯爵に抱いているのは、本当に感謝だけなのだろうか?
ロストフスキー大尉と話している侯爵の精悍な横顔を眺めながら、私は…、私の中に芽生え始めた新たな気持ちをこの時初めて明確に意識し出していた。
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結局マルタから船で私たちはジェノヴァへ上陸した。
ここから私と侯爵は陸路で北上し国境を二つほど越えドイツ、バイエルンを目指し、ロストフスキー大尉は亡命するときにロシアから持ち出したユスーポフ家の財宝類と共に、陸の水路、すなわち運河と河川を使って船で同地を目指すこととなった。
侯爵と二人延々と列車に揺られて北上する。地中海からアルプスへと車窓の景色も変化して行く。
ロシアもそろそろ、春の訪れを感じる頃かもしれない。
ふと去年のパスハのことが頭をよぎった。
父が母と祖母に恒例のファベルジェのイースターエッグを贈って…皆でそれを眺めて…、綺麗ねって…。
父たちは…別れた家族は、パスハぐらいは祝えるのだろうか。
この時の私は、露ほども知らなかった。
あの時家族が、どんな生活をしていたのか。
どんな気持ちで日々を過ごしていたのか。
そして…父と母が、この国を出た私にどんな祈りを込めていたのか。