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第六十五話

第一章

 


港は既に臨時内閣の影響下にあり、帝国が誇るバルチック艦隊も臨時内閣に抑えられていたけれど、所詮彼らも寄せ集めの烏合の衆だ。その中でもとりわけ欲深そう…もとい、利に聡そうなブルジョアジーの一人に目をつけ、持ち出した財宝をチラつかせながら、侯爵は乗船の交渉をまとめ上げた。
この時に細心の注意をもって運搬してきた陶器類、日本の色あざやかな鍋島や中国の景徳鎮、それから朝鮮の磁器がその強欲そうな臨時内閣に食い込んでいるウスチノフとかいうブルジョアジーの男の手に渡った。
(私も別れる時に家族が服に縫い付けてくれた宝石を差し出そうとしたが、「それは…ご家族の掛け替えのない形見の品なのだからいつか再会される時まで大事に持っていなさい」と侯爵に丁重に押し戻されてしまった)

侯爵は「陶磁器は運搬に向いていないので、下手に破損する前にさっさと手放そうと思っていたのでちょうどよかった」と言っていたが、実はその家宝の鍋島よりも交渉を有利に運ばせたのは、侯爵の妹御のヴェーラが「こういう小さいものは何かと役立つから」と侯爵にもたせた…彼女の宝飾品だった。
耳飾りや首飾り、ブローチといったものは、持ち主のセンスを反映してかとても趣味がよく、また、大貴族の子女の持ち物だっただけに石の質やカット、細工も極上のものだった。
それらの宝飾品がウスチノフの一人娘の心を捉えたために、味方につけた彼女の口添えが効いて(強欲なブルジョアジーも愛娘には逆らえないようだ)私たちは無事船上の人となった。

交渉を有利に運ばせた宝飾品を提供してくれたヴェーラは、私たちと旅を共にしていなかった。
確か…彼女は未婚だった。夫に付き従う訳でもないのに一緒に亡命せずに残った理由を侯爵に尋ねた。

「ヴェーラには…妹には、屋敷の始末を任せて来ました。彼女は屋敷の片付け、全ての使用人達に暇を出し、その後で別経路から同じ目的地を目指します」

「単身で ですか?…危険ではないのですか?…これから…何が起こるか…ますます騒乱は大きくなるのに…」

「ご安心下さい。弟が、リュドミールがおります。士官学校の生徒でありますので、よもや姉を危ない目に遭わせるという無様なことはないでしょう。ヴェーラは…ユスーポフ家の息女で、わたくしが不在の今は、当家の女主人です。彼女には責任がある。…そしてそれを見事にやり遂げる能力と覚悟も。ヴェーラとリュドミールには偽名の旅券を用意しております。後ほど、全ての使命を全うしてから彼女は必ず我々の元へ参りましょう」

侯爵のその答えは、名家に生まれた者の責任と矜持というものを明確に語っていた。

人の上に立つ者に、人からかしずかれる者に、与えられた権限と責任。

私は…私と私の家族は…本当にそれを全うしたのか…?

だとすると、私たちの覚悟に対する帰結が、今のこの騒乱と、私や私の家族の境遇だということなのろうか…。

押し黙って俯いた私の心の内をもしかしたら侯爵は察したのかもしれない。

「今のこの状態は…あなたと…あなたの家族だけの責任ではない。…明日は船上の人となるのだから、今日は早い所休まれた方がいい」

そう言って侯爵は、私の背中に大きな手をそっと差し伸べた。

黒海を出た船はマルタ島を目指し、海原を進んだ。
甲板から遠ざかるロシアの陸地を眺める。

ーー お父様、お母様、お姉様、アレクセイ…。

陸地が見えなくなるまで、私は海風に吹かれながら甲板に立ち続けた。

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©2018sukeki4

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