第九十六話 Ⅲ
頭の中が一瞬真っ白になるほどの驚愕の後に、俺の口をついて出た言葉はー、自分でも思いがけない一言だった。
「この…ばかたれーーー!」
「え?」
俺の言葉にユリウス以下皆が呆気に取られた顔で俺を見ている。
「…なんで…なんでそんな…腹に子供がいる大事な身体で…、こんな長旅を…。このバカ!…いや、いやいや…。もうやっちまったもんは、過ぎたことは仕方がない。お前…身体は大丈夫なのか?長時間列車に揺られて…腹は?異常はないか??」
すっかり狼狽えてユリウスの両腕を掴んで矢継ぎ早に問い詰める俺に、
「だ…大丈夫だよ。…今目の前で…ピンピンしてるじゃん。…オーバーだな…アレクセイは」
とやや俺の剣幕に気圧されながらユリウスが答える。
「…ダメだ…」
「え?」
「音楽祭に出演することは…俺が断じて許さん!!…俺とお前の共演は延期だ!延期!!」
そう言い切った俺にユリウスが「そんなぁ〜〜」と声を上げる。
「大事な身重の身体で…ムリしてステージに上がって…取り返しのつかないことになったら、一体お前どうするんだ!!」
「アレクセイや!落ち着きなさい。…そんな大声を出すものではありませんよ」
思わず声を荒げて大声になってしまう俺を婆さんが窘めた。
「でも、お祖母様…!」
「大丈夫だもん!」
「ユーリカ!」
「ママ!」
ユリウスが硬い表情で、やや青ざめた顔で、俺のことを屹と睨んで言い返す。
「お腹の子が大事なことは…母親のぼくが、あなたに言われなくても一番自覚しているし、自分の身体のことだって分かってる!ちゃんとカタリーナの病院で診察してもらって…それからフリデリーケにも相談して…先のことは計画を立てているもん!初夏ならばぼくの身体も安定期に入る。リーザを身ごもっていた時だって仕事は続けていたし、それにマリア・テレジアだって乳飲み子を抱いて戦場に立っていた。クララ・シューマンだって…出産直前直後も舞台に立っている!出来るもん!!」
「ほぉお〜〜?!マリア・テレジアにクララ・シューマン!クララ・シューマンとは…お前大きく出たもんだな!」
やべ…何言ってんだ!俺!?
売り言葉に買い言葉になってるぜ…。
「うるさい!ものの喩えだもん!…そんなとこばっか揚げ足とって…意地悪!!」
「とにかく、絶対ダメだ!俺はお前とは組まんぞ!却下!共演は却下!!夫の命令だ!」
「何ソレ!横暴!アレクセイの分からず屋!!バカ!…大嫌い!!」
ーーワァアン…!!
最後は金切り声で捨て台詞を吐くと、ユリウスは泣きながら立ち上がり俺の手を振り切ると、サロンを走り去った…その後ろ姿に俺は思わず声を上げた。
「走るな!バカ!!」
走り去りかけたユリウスが俺の声にピタと足を止め、早足で泣きながらサロンを出て行った。
バタン!!!
乱暴に閉められたドアの音がサロンに響く。
…クソ!
クソクソ!!
何で、何でこうなるんだよ!!!