第百三話
生後1ヶ月をが過ぎた秋晴れの空の美しい日に、ミヒャエルの洗礼式が執り行われた。
「思いのほかグズらなくてよかったね〜」
洗礼式を終え、白いレースのガウンに身を包んだ赤ん坊を抱いた両親とその家族、そして彼らの親族たちが、教会からアーレンスマイヤ家に戻って来た。
「そうだな。…洗礼式での赤ん坊のギャン泣きは…まあお約束だから、覚悟はしてたが、むずかりそうなところを、一歩手前でもちこたえたな」
アレクセイが、腕の中でご機嫌そうにしているミヒャエルの頬を指先で軽くつついた。
「もーリーザの時は…まるでこの世の終わりのように大泣きされて。それは大変だったからさ。あれを覚悟していたから、今回は拍子抜けした程だったよ」
「ホホ…。懐かしいわね。あの時はもう…顔を真っ赤にして大泣きされちゃって。牧師様にも、「儀式の途中でぐずる子はいるけれど、この子のように礼拝堂に入った瞬間から大泣きされたことは、牧師人生でも初めてです。」って憮然とされてしまってねぇ」
「そうそう。お式が終わった頃には…泣き疲れたリーザも、…それから親のぼくもグッタリだったよ」
「あの洗礼式は僕も昨日のことのように鮮明に覚えているよ。…なんたって、リーザの泣き声に掻き消されて、牧師様のありがたいお言葉も、何一つ聞こえてこなかったからなあ」
クツクツと肩を震わせながらしみじみと回顧するダーヴィトの言葉に、「もう勘弁して…。その黒歴史」と蚊の鳴くようなリーザの声が返ってくる。
「いやいや。黒歴史でなんてあるものか。僕ぁ心の底からお前さんに感心していたんだよ。あんな小さな身体で、よくあれだけの大きな声で、あんなに長いこと泣いていられるものだって。実際牧師様のさして面白くもない退屈なお説教なんかよりも、お前さんの泣き声の方が、どれだけドラマチックでエモーショナルだったか知れない。オペラハウスを震わせるプリマドンナも形なしだ」
「もう!伯父様!!」
そんなリーザの肩をユリウスが優しく抱き寄せる。
「それだけ…臆病で繊細な子だったんだよ。だからママとおばあちゃまたちの手の中で、大事に大事に育てた。ママのプリンセス…」
「ママ…」
母親の温もりに包まれたリーザが小さくつぶやいた。
「でも東方教会とカトリックでは、だいぶ洗礼式の勝手も違ってきますね。ロシア正教は子供をザブンと頭まで聖水に漬けるものだから、いきなり水に沈められた子供の驚きといったら、まぁ、それはすごくてねえ」
「…だよなあ。あっちのザブン!に比べたら、こっちは頭にチョロリだもんな」
「へぇ…。そうなんだ。宗派が違うと儀式も違ってくるんだねえ。…ぼくはうちの子たちのカトリックと、リーザが最初に洗礼を受けたカルヴァン派しか知らなかったけど」
「それは、わたくしも同じですよ。まさかこの年で祖国を遠く離れた異国の地でカトリックの洗礼式に参列するとは!」
そう言ったヴァシリーサの瞳が茶目っ気たっぷりに皆をクルリと見渡した。
「それは…その件に関しては今でもおばあ様には申し訳ない気持ちでいっぱいです。…俺の…俺たちのせいで名門侯爵家としての名誉も地位も剥奪されて、しかも国を追われることになってしまったことを…本当におばあ様にかけた苦労心痛だけは…」
自分の言葉に肩を落としてそう言いかけた孫の言葉をヴァシリーサが制す。
「あらいやだ。何を言っているのですか!わたくしはね、そんな事が言いたいのではないのですよ。…わたくしの言葉が少し足りませんでしたね。わたくしはね、このように異国の地で、死んだと思った唯一の身内の孫息子の愛息の、わたくしにとってはひ孫の洗礼式に参列できたなんて!と言いたかったのですよ。別にお前に謝ってもらいたかった訳ではありません!」
「おばあさま…」
「つまりは、自分は今とても幸せだと、そういうことですよね?おばあ様」
「ええ。そうですよ。初めて会った時からやることなす事危なっかしくて、ハラハラさせられ通しだったこの子に、あなたのような愛情深くて美しい、もうこの子にはもったいないような奥さんと、温かな家庭に恵まれて。今のこの子の穏やかな幸せそうな日々をこうして目にすることが出来たのが、わたくしにとって何よりも嬉しい事なのですよ。「ああ、この子だけは幸せを、温かな家庭を得て愛する人たちと幸せな日々を紡ぐという幸せを手に入れてくれた」と」
「おばあさま…」
「ああ、何泣いているのですか。…腕の中のミーシャが、びっくりしてますよ。ホラ、坊やをお貸しなさい」
ーーホラ!お使いなさい。
そう言ってヴァシリーサはハンカチをアレクセイに突き出し、ひ孫をその父親から受け取った。
曽祖母の腕に抱かれたひ孫が愛らしい笑みを見せる
「おお、よしよし。…あなたはよく笑ういい子さんですね。ずっと…そうやって笑っていられる人生でありますように」
歌うようにヴァシリーサが腕に中の赤子に囁きかけた。
「ミヒャエルのガウンは見事ですわね」
ミヒャエルの今日の晴れ着のガウンは、ヴァシリーサが故国から持って来た侯爵家に伝わる由緒あるものだった。
歳月を経て幾分か古びてはいるが、丁寧に補修もされ保存状態は良く、世代を超えて人々の手を経て来たことで生まれた独特の品と風格がある。
柔らかな生成色の絹地に大層手の込んだ細かい手編みのレースがふんだんに使われた、近頃では滅多にお目にかかることのないような、人の手の生み出した逸品である。
「新しい国家を作ったクラウスには悪いが…流石、ロシア帝国有数の名門侯爵家に伝わる正に名品だね」
「よせやい…。ま、尤も俺はこのガウンには縁がなかったがな」
「おばあさま、こんな素晴らしいガウンを、息子の晴れ着に用意して下さって、本当にありがとうございます。ミヒャエルのおじいさまや伯父様…もうお会いすることは叶わないけれども、ミハイロフ家の人たちが晴れの洗礼式の日に代々纏ったこのガウンを、この子も身に纏うことが出来た幸せと栄誉に心より感謝を申し上げます」
「やめてちょうだいな。…わたくしこそ、可愛いひ孫に、このガウンを使って貰えて…望外の喜びですよ。異国の地で天涯孤独になって…ミハイロフ家の最後の生き残りとなった老いぼれのこの婆が…天に召された時に、せめて、かつてはミハイロフ侯爵家の女として母として存在していた思い出の証の品として、棺にでも入れて貰おうとでも思っていたのですからね。ペテルブルクの屋敷を出た時にね、身の回りのものと…それからほんの少しの思い出の品も、その荷物の中に忍ばせて来たのですが…事情も事情ですし、これを持ち出すことに、少し躊躇もあったのですよ」
ヴァシリーサが、故国での最後の激動の数年に想いを馳せた。
1917年
ロシア、サンクトペテルブルク。
政敵の臨時内閣から指名手配されて、その追跡の目を潜るようにして密かに訪れたボリシェヴィキの孫息子から、近日中にこれから起こるであろう騒乱を避け、郊外へ疎開するようにと忠告されたヴァシリーサは、急ぎ屋敷を閉め、都から逃れる支度に追われていた。
事情が事情なだけに、荷物も出来るだけ少なく身軽に動けることを心掛け、荷物を選別していく。
必需品である日常の衣類、防寒着、そしていざという時に換金が可能で持ち運べる大きさの貴重品ー、宝飾品や銀の食器などを、リザやオークネフらと手分けして、手早く包み荷物に忍ばせ、陶磁器などの割れものや食卓で用いていた燭台などの大振りな銀製品、そして馬や馬車の多くは、今まで仕えてくれた使用人たちに分け与えた。
ーーコンコン。
「奥様、…そろそろ屋敷を出る時間ですので…」
全ての支度を終え、後は屋敷を出るだけとなり、オークネフが自室に籠った主人に時間が迫ったことを伝える。
「どうぞ」
中からの声に、オークネフが主人の自室に入ると、ヴァシリーサはすっかり旅装を整え、背筋を伸ばし椅子にかけていた。
少し古びたクリーム色の布地を手にしている。
「それは…」
ヴァシリーサが手にしていたものは、この家の先代と先先代の当主が洗礼式で身につけたガウンだった。
ヴァシリーサの夫である3代前の侯爵が世継ぎが生まれた折にパリのメゾンで作らせた、最高級のシルクにハンドメイドのレースのあしらわれたそれはまるで美術品のように美しく贅を凝らしたものだった。
そのガウンを身にまとい洗礼の儀式を迎えた時のミハイロフ侯爵家最後の当主と、その父親だった侯爵の天使のような姿が昨日のことのように鮮明に思い出される。
感傷に浸っているところを見られたヴァシリーサが、一瞬決まりの悪そうな表情を見せた後に、吹っ切るかのようにその思い出に品をテーブルに置いた。
「…お待たせしましたね。さあ、行きましょうか」
テーブルにその思い出の品を残し、ゆっくりと立ち上がったヴァシリーサにオークネフが声をかける。
「よろしいのですか?」
「…何がですか?」
「あの…ミハイル様とドミートリィ様の、洗礼式でお召しになられた…ガウンですよね。…お持ちになられてはいかがですか?」
オークネフのその言葉に、ヴァシリーサが僅かに目を伏せ首を横に振った。
「この屋敷にあった…金目のもので分配できるものは、今まで仕えてくれた者達に大方下げ渡しましたが…ダメですね。これも、誰かに譲り渡すべきでした」
ーー未練ですね。…さあ、参りましょう。
吹っ切るようにそのガウンの置かれたテーブルに背を向けたヴァシリーサに、尚もオークネフが食い下がる。
「良いのですか?これを残して行かれて。…思い出の、大切なガウンでございましょう?お持ちになられては如何ですか?」
「…もう、必要ないものですよ。わたくしにも…この家にも」
「…分かりませぬ。…後々アレクセイ坊っちゃまの…アレクセイ様の御子息に…」
そこまで言いかけたオークネフの言葉を無言でやんわりとヴァシリーサが制した。
「…ボリシェビキは…マルクスは宗教というものを認めていないのでしょう?でしたら、洗礼のガウンなど必要のないものですね。それに…アレクセイはきっと…この先も妻を娶ることはないように思うのですよ。わたくしの勘、ですけどね。…だから、これは、このお屋敷に置いて行きましょう」
そんなヴァシリーサに
「…やはりこれは、お持ちになるべきだと思います。例えこれから先、使う機会のないものでも、この思い出の品は、奥様の、そしてこの屋敷の歴史に長年携わってまいりましたわたくし達の心を慰めてくれましょう。奥様は…思い出の詰まった品々の大方を使用人達にお譲りになられてしまいましたが、せめてこのぐらいはお持ちになられても良いではございませんか。いくら身軽にと言ってもこれ一つを荷物に加えたところで、なんの差障りにもなりません。…これは、お持ちになりましょう。いいえ、これはずっと持っておくべきです」
そう言うと、オークネフはガウンを恭しく手に取った。
「これは、わたくしの手荷物に加えておきますので。…外でだいぶ馬車を待たせてしまいましたので、さあ、まいりましょう」
オークネフがガウンを手に、主人の足元を気づかいながら、部屋を出、施錠した。
そして
その部屋の鍵が、この屋敷の人間によって開けられることは二度となかった。
「それから、オークネフとリザと共に、ペテルブルクを出て、クリミアのヤルタに辿り着き、それから色々な縁があって、結局彼の地も離れ、国を後にして、英国、そして最終的には終の住処として南仏に落ち着きました。そんな流転を重ねた数年で、ゆっくりと思い出に浸っている余裕もなかったものでしたから、すっかりこのガウンのことも頭から抜け落ちていたのですよ。で、南仏に落ち着くことになって、荷物を改めて整理したときに、このガウンと再会して。その時は、アレクセイもてっきり死んでしまったものと思っておりましたから、ちょっと切ない気持ちにもなりましたのよ。そりゃ期待はしていなかったけど、ああ、これで本当に、このガウンは使い道をなくしてしまったのだなあと思ってね。じゃあせめて、わたくしが、この婆が天に召された時に、この年老いた亡骸にこれを掛けてもらおう…と、そんな風に考えておりました」
「…わたくし達には想像もつかないような、ご苦労をされたのですね」
落日のロマノフロシアを生きた一人の貴族女性の口から語られた激動の人生に、マリア・バルバラが心からの同情と慰めを寄せた。
「でもそれも、こうして見れば、終わりよければ…ですわね。それに…大変だったのはわたくしだけではありませんでしたわ。あの時は、ロシア中が、いいえ、世界中がそうでした。…でしょう?ドイツも、アーレンスマイヤ家もそうだったのではございませぬか?」
「ええ。そうでした。そうでしたわね。ここドイツも、敗戦国となって…革命も起こって、戦争の始まる前とは世界が一変してしまって…正直その混乱の痛手からはまだ完全には回復できていない状況にありますわね。空前絶後のインフレーションに、わたくし達アーレンスマイヤ商会も…まるで日々嵐の海原で舵を取っている心持ちです」
すっかりしんみりしてしまったその場の空気を、アレクセイが咄嗟に軽口で混ぜっ返す。
「でもまあ…婆さんの最期の前に、このガウンも一仕事出来て…よかったぜ」
「もう!アレクセイったら!」
茶々を入れた夫の腕をユリウスが軽く肘で小突いた。
「ホホ。いいのですよ。本当に。…このガウンは、婆の骸に掛けるよりも、祝福された赤ん坊の小さな身体を包むのに相応しいものですからね。…ミハイロフ家に代々伝わって来たものを、次の世代に渡せて本当に良かった。これは、是非そちらで保管して、次の世代に、ミーシャの子供へ…そしてその子供の子供へと受け継い貰えないかぇ」
「いいのかよ。棺に入れなくても」
「言ったでしょう?このガウンは、わたくしの亡骸を飾るよりも、ふさわしい使い道があると。その可能性を開いてくれたのは、他でもないお前と、ユリウスですよ。ありがとう」
そう言ってヴァシリーサは、孫と孫嫁の手を取った。
「おばあさま、ありがとう。これは、大事に保管して、きっと次の世代に…ミーシャの子供に渡すように致します」
「本当に綺麗なガウンだものね。ねえ、おばあさま。あのね…リーザも…これから先リーザが結婚して子供を授かって…そうしたら、リーザの子供にもこのガウンを使わせて貰ってもよいかしら?だって…リーザの洗礼の時に使ったガウンは、ママが離婚した時にサンデュ家に置いて来てしまったから。それとも…赤の他人のリーザが…侯爵家に伝わる由緒あるガウンを借りるなんて…厚かましいお願い?」
神妙な表情で切り出したリーザのお願い事に、思わずヴァシリーサの顔が綻ぶ。
「厚かましいだなんて!身に余るお願い、嬉しくお受けしますよ、リーザ。是非使ってやって頂戴な。あなたを赤の他人だなんて、わたくしは初めて会った時から一度だって思ったことはありませんよ。でもね、あなたが結婚したそのお相手のお家に代々伝わるものがあったら、わたくしとの約束は一切気兼ねせずに、そちらのものをお使いなさいな」
「ええ…はい。その時は。でも、やっぱりこんな素晴らしいガウンはそうないと思うので、これを着せてあげたいです」
「リーザったら気が早い!」
「あら、ママ。そうは言ってもリーザはもう14よ。ママがリーザを産んだ歳も、それからおばあちゃまがママを産んだ歳まで、あっという間だわ」
「まあ、確かにそうね。おばあちゃまは19、ユーリカは20だったから、後5、6年でそんな歳になるのねえ」
「でも、結婚もいいけれど、ママはそれだけに囚われて欲しくはないな。年頃になったら女は嫁ぐもの…ではなくて、あなたがあなたらしい生き方をして、その先に結婚してもいいなあ、この人と人生を共にしたいなあという人と出会ったらその時は結婚すればいいと、ママは思うよ」
「叔母様進歩的!」
「何言ってるんだい。父様と母様も、ユリウスと同じ考えだよ。テレーゼ。お前さんには家に縛られずに、好きなことをやって、恋をして、そして好きな男と結ばれてほしいね。僕たちのように」
そう言ってダーヴィトが傍のマリア・バルバラの肩を抱き寄せた。
「ご馳走様でした〜。そうね、お父様とお母様達も、そうだったわね。でも私は…昔ながらの、家と家が結ぶ縁談で嫁いで奥様として家を守って行くという生き方も…悪くないと思うわ。だって、昔からよく知った人と結ばれる方が、不安もないし、相手の家のことや家族の人たちのこともよく理解出来るし…きっと上手くやっていけると思うもの」
「そうか。お前がそういう生き方に価値を見出しているのならば、それも大ありさ。何も今を生きている全ての人間が同じ価値観で動くことはないんだ。お前はお前がいいと思った価値観で生きて行けばいい。多様性は大いに歓迎だが、それらに優劣なんてないからね」
「うん…」
「早いものだな。少し前まで小さな子供だった私の孫娘達が…もう将来の進む道について、具体的に語り出す歳になるとは…。十数年前に生まれたばかりのお前達をこの手に抱いて、もう人生で十分の幸せを体験したと思ったが…あともう少し欲を出して、お前達の巣立ちまで見守りたいものだな」
伸びやかに美しく成長した二人の孫娘を前に目を細めながらそう言ったアーレンスマイヤ氏に
「もう十分だなんて!もっともっと長生きして私達の女学校卒業や…それから嫁ぐ姿も絶対絶対見届けて頂戴!ね?リーザ」
「そうよ。おじいちゃま。リーザの旦那様にも絶対会って頂戴ね。絶対よ!」
と二人に孫娘が祖父の両手に手を絡ませて念押しする。
そんな二人の孫娘の懇願に、ダメ押しで今日の主役の父親であるアレクセイまでが乗っかって来た。
「おい、おっさん。こいつら二人の後に、まだこのチビも控えてんだ。こいつが物心つくまでは何がなんでも頑張ってもらわなきゃ困るぜ」
ーー死んだ…俺の親父の分までよ。
アレクセイが少し照れ臭そうに最後の一言を付け加えた。
その晩ー
「よく眠ってるね」
「だな。いつもだったら空腹でぐずり出す頃なのに」
夫婦のベッドの横に置かれたベビーベッドでぐっすり眠っている愛児を二人で覗き込む。
閉じられた長い睫毛と、軽く握られた小さな手、そして規則的な寝息に愛おしさが込み上げてくる。
「あのお産が…まるで昨日のことのようなのに、あっという間に洗礼式だものね。何だか…心なしか人間っぽくしっかりして来たと思わない?」
「…だな。俺は生まれてホヤホヤのこいつを見てるけど…赤黒くてぬるっとした…人間というよりも巨大なカエルみたいな生き物に近かったからなあ」
「ひどっ」
「まあ…産湯を使って、きれいに洗ってやったら、立派な人間の赤ん坊になったがな」
「そうだったね。アレクセイが、綺麗にしてくれて、ぼくに会わせてくれたんだよね。ありがとう。お父さん。あの時…とっても嬉しかった。ぼくたちの…赤ちゃん」
「ああ。俺も、なんとも言えない喜びのような感激のような…色んな感情で胸が一杯になったよ。…ありがとうな。…父親の記憶が殆どない俺に、父親になる喜びをもたらしてくれて」
ユリウスの背後から寝ている子供を覗いていたアレクセイがユリウスを優しく抱きしめた。
アレクセイの両腕に背中から包み込まれたユリウスが、夫の腕に手を重ねる。
「ぼくの方こそ…愛する人と、それから子供たちと幸せな家庭を築くという…平凡だけど、尊い尊い幸せを叶えてくれて…本当にありがとう。あなたは…あなただけが、出会った頃からぼくを…ぼくの中に空いていた空洞を満たしてくれる。あなたがこうしてそばにいるだけで、こんなに満たされる」
「それは…俺も同じだ。…初めて会った時から、お前は、お前の存在は、不思議なほどに俺の渇きを癒やしてくれた。お前と一緒にいることで…俺は初めて完全な…本当の俺になるんだって…再会してはっきりと理解した。俺たちは…」
その先の言葉を、ユリウスの柔らかな唇が封じる。
長い長いキスを交わしながら、二人は絡み合ってベッドに崩れ落ちて行った。