第百話 Ⅶ
第七章 Sandmӓnnchen ~眠りの精~
「…ただいま戻りました」
夜更過ぎにようやく初日の激務から解放されたアレクセイが戻って来た。
「お帰りなさいませ。…お疲れ様でございます」
「ああ。遅くまですまないな。ゲルトルート」
エントランスで出迎えてくれたゲルトルートとのやりとりを耳ざとく聞きつけたのか、大階段にひょっこりとガウン姿のユリウスが顔を現した。
アレクセイを見とめるなり階段を小走りに駆け下りてくる。
「バ…走るんじゃな!」
「お帰りなさい!アレクセイ。お疲れ様」
言い終わらないうちにユリウスの両手がアレクセイの首に巻きつき、頬にキスを受けていた。
「…ただいま。寝ててよかったんだぞ?」
ユリウスの腰に片手を回しキスを返したアレクセイに
「ねえ、アレクセイ。夕食は?お腹すいていない?」
とユリウスが耳元で囁いた。
「ん…。実は食いっぱぐれちまって昼からこっちずっと食べてないんだよ」
「じゃあ先に部屋に戻ってくつろいでて!いいもの持って来てあげるから」
そう言うが早いかユリウスはアレクセイの腕の中から身をかわし、小走りで去っていった。
「あ!だから走るなって…」
虚しくエントランスに響いた注意に、取り残されたアレクセイとゲルトルートが目配せをし肩を竦め合った。
「じゃあわたくしはこれで下がらせて頂きますね。お休みなさいまし」
〜〜〜
部屋へ戻り着替えて一刻ほどのちに、スープチューリンの載った盆を携えユリウスが部屋へと戻って来た。
美しい文様の施されたウェッジウッドのチューリンの蓋を持ち上げると湯気と共になんとも言えない香りが立ち上って来る。
「もう遅いから、消化の良いものを…と思ってね。ハイ、どうぞ召し上がれ」
スープカップによそって供されたのは、この時期に出回るシュパーゲル(白アスパラガス)のポタージュだった。
「え?…俺のために、わざわざ用意してくれたのか?」
小テーブルの向かいにかけて頬杖をついているユリウスが溢れるような笑顔でコクリと頷いた。
芳しい香りに誘われるように口に含む。
優しいまろやかなポタージュがアレクセイの胃の腑へと落ちたちまち空腹を満たす。
「美味い!」
「良かった。ローラさんがね、シュパーゲルを沢山届けてくれたの。「疲れた身体にはこれが一番」って。レシピと一緒にね」
と、ユリウスは夢中でポタージュをかっ込む夫を、頬杖をつきながらニコニコと眺めている。
「フヮ〜ア。満たされた〜。ご馳走様でした」
「うふふ。お粗末様です」
「よし…。夜食の後は、お前を食うぞ。ムフフ…」
抱き上げられ組み伏せられたユリウスの身体がベッドに沈む。
「あん…。もうお腹いっぱいなんじゃなかったの?…食いしん坊アリョーシャ」
「バカ!…お前は…別腹…。。。。」
覆いかぶさってきたアレクセイの言葉の…、最後はしかし規則正しい寝息となっていた。
スースー…
耳元の寝息と、頬をくすぐるサラサラの髪に、思わず小さな笑いが漏れる。
「お休み。ダーリン。今日はお疲れ様。…いい夢をね」
まるで小さな子供のような夫の綴じられたまぶたにそっと口付けると、ユリウスもその傍で心地の良い眠りに落ちた。