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第百話 Ⅲ

第三章 再会

 

 

音楽祭の初日の朝

ユリウスは駅舎で待ちわびていた人を迎えていた。

 

「おばあさま!」

「ユリウス」

 

この音楽祭とそれから孫夫婦の婚礼のために遥々グラースからここドイツまでやって来たアレクセイの祖母ヴァシリーサが、停車した列車のタラップをゆっくりと降りて来る。

 

「わざわざ遠くドイツまで御足労くださって本当に、ありがとうございます」

「ご機嫌よう。見たところとても元気そうで安心しましたよ。顔色も良くて、それに益々綺麗になって…。アレクセイは本当に幸せ者ですよ」

「グラースからの長旅、さぞかしお疲れになられたでしょう?」

「なんのこれしき。わたくしは…なんと言っても軍艦で革命の嵐吹き荒れる祖国を脱出した人間ですからね。それに…この度は、とても素晴らしい旅のお供が、至れり尽くせりわたくしのことを気遣ってくれていましたからね。お陰で至極快適な旅でしたよ」
ーーねぇ、アンナさん。

そう言ってヴァシリーサが控えめに後ろに付き従っていた人物に向かって微笑んでみせた。

 

「フロイ…アンナ!!」

 

ヴァシリーサに寄り添っていた若い女性は…、かつてアーレンスマイヤ屋敷に秘密裏に身柄を保護され逗留していた、ロマノフ家の遺児、今はアンナ・ユスポヴァと名乗っている、プリンセス・アナスタシアだった。

「…お久しぶりです。ユリウス。…会いたかった。貴女の…一番美しく幸せな瞬間に立ち会えることを、とても嬉しく思います」

 

別れて早4年。
身一つで流転の末にドイツへ逃れてきた亡国のプリンセスは、少女から美しい大人の女性に成長していた。

 

「あぁ!フロイライン。…アデールさんが言っていた、サプライズって…適任の付き添いというのは、貴女のことだったんだね」

感極まったユリウスが久々に再会を果たしたフロイラインアンナをギュッと抱きしめる。

 

「はい…。アデールから電報をもらって。「スグニグラースヘコラレタシ」と。相変わらず強引な…と思って彼女の屋敷を訪ねたら、「突然で申し訳ないけれど、わたくしの、いえ、ユスーポフ家の名代として、とある夫婦の婚礼に出席してほしい。ついては同じくその婚礼に出席されるこのヴァシリーサ様に付き添って、ドイツまで行ってもらえないか」と言われて…。もう、私…」

ユリウスに抱きしめられてその経緯を説明しながら、アンナも感極まってスンと小さく鼻を鳴らした。

 

「アデールさんの、粋な計らいでね。このアンナを是非に旅のお供に と。お陰で不安だった一人旅が、それは楽しいものになりましたよ。とても親切で気遣いが細やかでね…。本当に彼女は優しくていいお嬢さんですよ」

 

 

「今日からさくらんぼの花の音楽祭、開催です」

 

駅舎内でボランティアの腕章をつけたゼバスの制服姿の学生たちが、駅の利用客にタイムテーブルとフライヤーを配布していた。

 

「あ、ユリアさん。おはようございます。お早いですね。…お客様のお出迎えですか?」
学生がユリウスをみとめ、挨拶する。
手ぶらでいた方のもう一人のボランティアの学生が目ざとく「お荷物お持ちします」と二人の荷物を素早くカートに載せた。

 

「まぁま、ありがとう。ボランティアさん。まるで一流ホテルのような心配りですね」

 

「どういたしまして。…実行委員長に僕たちボランティアもみっちり心構えを仕込まれましたから」
ーーあ、実行委員長、ユリアさんの旦那さんでとてもカッコいい人なんです。僕らの先輩にあたる人で、楽器店の店員さんなのだけど、凄腕のヴァイオリニストで、物知りで。あ、あのイザーク・ヴァイスハイトの先輩にあたる人で、今回のイザーク・ヴァイスハイトの出演が実現したのも、彼のおかげなんです!

何も知らない学生がよもや目の前の老婦人がその実行委員長の祖母とはつゆ知らず、目を輝かせながら日頃から敬愛する実行委員長で先輩の話をする。

 

「…あらあら、まぁまぁ。そうですか…。そうでしたか」

孫への手放しの賛辞に、ヴァシリーサも相好を崩す。

そんなヴァシリーサと目配せをしてユリウスが告白した。

 

「この方は、その実行委員長のおばあさまだよ」

 

「え?ええーーーーー?そ、そうだったのですか?!ヤダなぁ、ユリアさん。最初に言って下さいよ〜」

赤面して盛大に照れる学生に

「ごめんごめん。でも、おばあさまもとてもとても嬉しく思っていらっしゃるよ。ねぇ?おばあさま」

「ええ。とても。…こんなに慕ってもらえて…孫は幸せですね。これからも、孫を助けてあげて頂戴ね。優しくて有能なボランティアさん」

と二人が優しい言葉で返す。

 

「はい。それはもう…。勿論です!僕たちの、ようやく漕ぎ着けた音楽祭ですから!…あ、クラウスさん、今総合案内のテントにいますよ」

「そう。じゃあ、ちょっとクラウスにも会って行かれます?」

「そうですね。ではちょっと激励がてら顔を見て行きましょうか」

「アンナは…初対面だったよね」

「はい…」

 

連れ立って駅舎を出て駅前ロータリーに出ると、そこは普段の様相とガラリと変わり、臨時の売店やフードコートが設置されている。
早めに到着した音楽祭の客たちが公式プログラムに目を落としながら、ブランチを楽しんでいる姿もちらほら見える。

 

「クラウス!」

 

一番正面の分かりやすい場所に設えられた総合窓口のテントの中で一際目を引く長身の人物の横顔に向かってユリウスが手を振る。

 

「おう!あ…」

妻の傍らの自分の姿に気づき、固まったように自分を凝視している孫に、ヴァシリーサが微笑みかけた。

 

「来ましたよ。忙しそうですね。…大いに励みなさい」

「おばあ様!…よく…遠いところをよくおいで下さいました」

祖母と孫が抱き合って再会を喜び合った。

 

「クラウス…」
ーーこちら…。

ヴァシリーサの背後に慎ましく控えているアンナをアレクセイに引き合わせる。

「彼女は、アンナ。アンナ・ユスポヴァ嬢。ユスーポフ家の名代として、ぼくたちのお式に出席してくれるの。アンナ、彼が…ぼくの夫のクラウス。クラウス・ゾンマーシュミット」

 

「…初めまして。ヴァシリーサ様より、お噂はかねがね。お会いするのを楽しみにしていました。…アンナ・ユスポヴァです」

差し出されたアンナの白い手を少し躊躇しつつアレクセイがその手を握る。

「…クラウスです。その、なんと言ったらいいか…」

 

数年前に新政府の一員として間接的にではあるが彼女の家族を、名前を、過去を奪った立場のアレクセイが口籠る。

かつて対岸に立っていた二人の気まずい沈黙を、ここはアンナの方から破る。

「…父の…わたくしの家族のことで、ご自身の立場を顧みず色々な筋に働きかけてくれたことは、義父から聞いています。その節は…本当にありがとうございました。…いつかあなたに会ったら…その時のことを、家族に代わってお礼を言いたいと、ずっと思っていたのです」

「プリンセ…」

 

思わず昔の呼び名が口をついて出ようとしたアレクセイに、アンナが無言で首を横に振って制する。

「貴方も、それからわたくしも、奪われた過去の代償に…素晴らしい未来を授かった。…ここまでわたくしたちを生かしてくれた人々の後押しや導きや…それから犠牲の上に。喪った過去の分まで…わたくしたちは、この未来を悔いなく幸せに生きる義務があると…わたくしは思っています。…そうでしょう?」

「ああ。…そう…だな。…こちらへ来て新しい生活の基盤を築いて…沢山の人の協力援助を受けて、やっと実現に漕ぎ着けた俺の…俺たちの音楽祭、楽しんでいって下さい」

「はい。勿論。…わたくし、お式もですが、今回の音楽祭もとても楽しみにして参りましたのよ。…初夏のサクランボの花と音楽なんて、とても素敵だわ」

そう言ってアンナが微笑んだ。

「楽しんでいって下さい。どのステージも、どの公演も素晴らしいものであると、自信を持ってお勧めします」

アンナの言葉を受け、とびきりの笑顔でアレクセイも返した。


 

 

「ユリアさん、この荷物…どちらへお持ちすればいいですか?ホテル?それとも…」

傍で荷物を持って感動の邂逅に立ち会っていたボランティアの学生が、キリの良いところを見計らい、そっとユリウスに訊ねてきた。

 

「あ、これは、彼女たちは我が家のゲストなので、アーレンスマイヤ家のマナーハウスまでお願い出来るかな。おばあさま、アンナ、我が家のマナーハウスにお部屋を用意しましたのでご案内します。じゃあクラウス、また後でね。リーザとランチをとる約束をしてるんだ。抜けられたら来て」

「おう。分かった」

ーーゾンマーシュミットさーん!…外国語のお客様が〜。

外国人客の対応に往生したボランティアの学生がアレクセイにSOSを出す。

「おー!今行く。…んじゃな。また後で」

ーー…たく。次回は簡単な語学講習もボランティアに課すようだな。

ブツブツ言いながら、アレクセイはユリウスの肩をそっと抱き寄せ、額に軽く口づけると、呼ばれた方へ早足で向かって行った。
 

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