第九十一話 Ⅳ
「さてと…どこで話そうか。あ!久々に、あそこ行かない?」
「ん…いいな」
ぼくとアレクセイは、僕らの恋の原点、あの昔の逢引場所だった池へと足を運んだ。
「やっぱり結構…ウフフ」
池の畔は、今は喫煙タイムの学生の姿がチラホラ見える。
「だな…」
なるべく人のいない方へ二人並んで歩きながら話し始める。
「あのな…さっき、店にリーザが訪ねてきてくれたんだ」
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「アレクセイ。ママね、今になって急に何だか怖気づいちゃって…前に進むのを躊躇っているみたいなの。…これって、マリッジブルーって…言うのかな?」
ハハ…
マリッジブルー ね。
ませた口調で母親の近況を知らせてくれたこの娘のいかにも聡そうな顔を苦笑い交じりで眺める。
「私がね、ママの指のあのリングに言及したら、ママったら急に指輪手で隠しちゃって、あたふたと逃げられちゃった。ねえ、アレクセイ。私はママに幸せになってもらいたいだけなのに…どうしてあんな態度になるのかなぁ?私…もし私の存在が二人の恋の妨げになってるのだったら…何だか悲しいよ。…こんなに応援してるのに。別にママの気持ちを慮ってとかじゃなくて…本当に心からママに幸せになってほしいだけなのに…なんでこうなるのかなぁ」
話しているうちにリーザの表情が年相応の13歳の少女の顔になってくる。
べそをかく一歩手前のような顔で唇を噛んで俯く。
「リーザ…」
「アレクセイ、ママってあんな風にめんどくさいところあるけど、それも…ママの優しさなの。いつも自分より、周りの事を優先してしまうの。…私達はいつもママのそんな優しさに支えられて包まれて…幸せに生きて来た。だから…ママの事、どうかよろしくお願いします。何ならば…今すぐママのこと攫ってってくれても…」
「おい…おいおい」
リーザの過激な提案をまずは諫めて落ち着かせる。
「攫ってなんて…行かないよ。お前さんの、お前さんたちにとっての大切な大切な女性だ。俺にとってそうなのと同様に。…だろう?なぁ、リーザ。俺たちは…こうして再び手を取るまでに長い長い時間を要した。こうしてまた巡り会って二人手を取り合えたこと自体が…奇跡と言ってもいい。だから、だからこそ、俺は焦らんよ。…ユリウスが迷っているなら、その迷いが晴れるまで、とことんそれに付き合うつもりだ。ありがとう…リーザ。お前本当にいいやつだな」
目の前の恋人の娘の頭をクシャクシャと撫でる。
「どういたしまして。…でも、ママは次の一歩をどうしても踏み出せないでいる状態なの。とことん付き合うのもいいけど…その背中をトン!と押してあげるぐらいはしては…ダメ?」
――ねぇ、アレクセイ。ちょっと付き合って!
リーザはおもむろに立ち上がると俺の手を取って、「お邪魔しました。クラウスさん、もう少し借ります」とおっさんに挨拶すると店を出て行った。
「おい、おいおい!どこ行くんだよ?一体何…」
何が何だか分からずにリーザに手を引かれている俺に、リーザが答えた。
「ブレイクスルーだよ!アレクセイ、いいから付き合って」
リーザに連れて来られた先は、ユリウスの会社の社屋だった。
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「…というわけだ。ゴメンな。仕事の場にノコノコ押しかけて来たりして」
「ううん、そんな。…あの子ったら。でも…嬉しかったよ。ありがとう。それから…ごめんなさい。この一週間不誠実な態度を取ってしまって…」
「いや。謝るのは…至らなかったのは俺の方だよ。一番大事な所を、お前一人に丸投げしてしまった。…リーザと、それからレナーテさんには二人で報告すべきだったんだ。実は…俺も…な、迷いと戸惑いがあったんだ。…その」
――お前が、お前たちが築き上げて来た温かい家族の絆の中に、ノコノコ後から割り込んでいくことに。俺は…。
「そんなこと!!」
「初めてお前たちの家に夕飯に招待された時に、ヘルマン・ヴィルクリヒの奴にそう打ち明けたら…頭思いっきし叩かれたよ!パイプで。…あんにゃろう」
「あぁ、あの時の」
「そうさ。お前に迷いや戸惑いがあるように…俺にだって迷いはあるんだよ。でもな、それでいいと 俺は思うんだ。そりゃ、当然だよな。かけがえのない心から大切に思うものと向き合ってるんだから、慎重にもなるよな。だから、迷ってもいいんだよ。だけどさ、これからは…二人手を取り合う事が出来たんだから、迷うときは一人で抱え込むのはなしだ。俺や、リーザ―や、レナーテさんと…悩みや迷いは皆で共有して、一緒に立ち止まって解決して…それから前に進んで行こうぜ」
「…迷っても…いいの?」
「ああ」
「ぼくは…初めてあなたと出会った時の、あの頃の少女のぼくではないよ。…時にあなたよりも、娘の事を第一に優先するかもしれない。…それでも…いいの?」
「当たり前だ!それが母親ってもんじゃないのか?」
「アレクセイ…」
「ん?なんだ?」
「こんな…めんどくさい女だけど…ぼくを、あなたの奥さんにしてくれますか?…ぼくと結婚してください。…ぼくと、ぼくの愛する家族と、一緒に人生を共にして下さい」
俺の顔を真っすぐに見つめてそう言ったユリウスの碧の瞳の輝きは、先ほどまでの迷いと戸惑いを一切振り切ったように強い輝きを放っていた。
「ああ。光栄です。ユリウス、俺の奥さんになって下さい」
ユリウスの手を取って、リングのはめられた指に口づける。
そのままユリウスの身体を引き寄せて抱きしめ、俺たちの唇が一週間ぶりに重ね合わされた。
そのまま深く長い口づけを交わす。
いつの間にかこの辺にたむろっていたゼバスの奴らが俺たちの周りに野次馬となって群がっていた。
――ヒュゥ!!
「ゾンマーシュミットさん、やるぅ!」
「おめでとう!!」
「逆プロポーズ、かっけ~~~~!痺れたぜ」
ゼバスのガキどもの喝采とヤジと口笛と祝福を受けながら、俺とユリウスは抱き合いながら熱いキスを交わし続けた。
片方の手でユリウスの身体を抱き寄せ、片方の手でシッシと奴らを追い払いながらな!